BSプレミアムで放送中の「にっぽん縦断こころ旅」2018秋。今週から福島県に入りました。11月6日放送分は福島県猪苗代町にある町営磐梯山牧場から、猪苗代湖を眺めながらのオープニングでした。
780日目、福島県1日目は猪苗代町の旅
お手紙の内容
今回のお手紙は、郡山市の58歳女性から。
お手紙の方のお母さんの実家は、今は無くなってしまいましたが、猪苗代町にありました。
子どもの頃、家に車がなく、おばあさんの家に行くには、郡山駅から磐越西線に乗り、川桁駅で降り、沼尻軽便鉄道に乗り換え、酢川野駅で降りておばあさんの家へ。
おばあさんに会いたいのではなく、川桁駅で「こんぺいとう」を買ってもらうのが楽しみで、行っていたとおっしゃるお手紙の方。
お母さんは5年前に亡くなりましたが、亡くなる前に「酢川野へ行きでなぁ。」と若い頃の記憶を思い出すかのように口にされていたそうです。
軽便も昭和43年には無くなりましたが、「高原列車は行く」のモデルにもなった鉄道とのこと。
自転車で行けるか分かりませんが、正平さんに、酢川野駅が今はどうなっているのか、天国の母に風景を見せて欲しい。とのお手紙でした。
軽便の車両をみつける
眼下に猪苗代を望みながら、坂を下っていきます。酢川野までは川桁駅を経由して、約18kmの道のりです。
坂道を下ったところに、列車の車両を展示しているところの横を通りました。作業途中と思われる男性二人が通りかかり、すぐに火野正平さんの番組だと気づきました。
「これ、昔の軽便の?」と聞くと「軽便です。」と即答されました。置いてあった場所は駅だったそうですが、磐越西線なので軽便の駅とは違うらしいです。
本山という鉱山から硫黄を運んでいたとの事でした。
線路のあとはなく、軽便の駅のトイレ跡と看板が立っているとの事でした。
鉄塔に上る人たち
とても天気が良かったので、道を走っていると左側に磐梯山がキレイに見えました。
コスモスもキレイに咲いていたので、チャリオを停めて景色を眺めて、遠くに見える山のスキー場を見ていたところ、「ちょっと危ないよ、君ら。何してんの。」と急に正平さんが言い始めました。
正平さんが言う方向に大きな鉄塔があって、数人ずつ3か所に分かれて鉄塔で作業している人がいました。
下の方の人たちは電線にぶら下がっていて、正平さんは「クモか!」とツッコんでいました。全部で7人いました。
「あれ、専門の人でしょ?ちょっと行ってくるわ、で行けへんで、あれ。」と正平さんが言うと「こころ旅の倍出すって言ったらどうしますか?」と言うスタッフの方。
「絶対行かへん。お金払ってでもやめさせてもらう。」と言ってました。
そりゃそうですよね~!!
でもカメラさんがズームして鉄塔に上ってる人たちを映してましたけど、皆、普通に作業されてましたよ!!スゴイですよね!!
怖すぎますよ!!
ランチはカツレツ
走っている右側に磐越西線がありました。そこを抜けて街中に入ってきました。そこで食事の時間になりました。
おすすめはカツレツ。お店の人は、会津のソースかつ丼をイメージしてください。とのことで、正平さんはカツレツを注文しました。
運ばれてきた時のお店の人の説明によると「お肉がとても柔らかいので、是非スプーン
ですくってお召し上がり下さい。」とのことです。
どういうこと??
と思っていたら、正平さんが第一声「柔らかい!」と言って箸からスプーンに変えました。カツレツの下に刻んだキャベツが敷いてあって、キャベツごとすくって食べる正平さん。
「ソースかつ丼の洋風版だね、ホントに。」と感想を言います。とても美味しそうでした。めちゃくちゃ羨ましかったです。
鉄道跡の道路を走る
正平さんたちは川桁駅に到着。売店はなく、自動販売機があるのみでした。「こんぺいとう」は買えませんでしたが、沼尻軽便鉄道、川桁駅発~沼尻駅行き発着駅跡の記念碑が建っていました。記念碑には全駅の路線図が載っていて、「酢川野」は8つ目でした。
お手紙にあった「高原列車は行く」の歌詞も一緒に記念碑に彫ってありました。
ここからお手紙のように乗り換えたと考えて、そのままチャリオで軽便鉄道の跡と思われる細い道幅の道路を走っていきます。道は山に向かって走っていきます。
左側に磐梯山を見えている道を、正平さんは「高原列車は行く」を口ずさみながら走ります。途中、スタッフさんが「うつの」と書かれた駅跡の看板を見つけました。
「じゃあ、この辺は知ったのは間違いないんだ。」という正平さんでした。
駅跡とトイレ
「うつの」駅の看板は気づきませんでしたが、「あいづしもだて」駅の看板を見つけることが出来ました。看板の左下にかつての駅の姿の写真がありました。小さな駅です。
駅の説明文の中に「当時のトイレがそのまま残っています。」とあり、近くを探すとトイレを発見。便器がキレイな白地に藍色の陶器でおしゃれでした。「昔ながらの色彩を残す珍しいものです。」と説明文にあった通りの小さな男の人用の小便器でした。
でも、女性も座ろうとすれば出来たかもしれないです。
「さっきのおじさんたちがトイレが残ってるって、これのことか。」と納得する正平さん。話が繋がりました。
結構、詳しく教えてくれてたんですね!親切な方々でした!
道はさらに山の方へ向かいます。左に見える磐梯山は角度が変わって形も変わって見えてきました。長い距離を走ったということでしょう…。
こころの風景
道路を走る車の数が増えて来ました。酢川野の案内標識が出て来てすぐに駅の看板もありました。看板の駅看板の写真を見ると小さい小屋みたいな駅でした。酢川野駅の建物は残っていませんでした。
駅から集落に向かって歩く正平さん「おばあちゃん、会いに来たよ。」と言います。
駅の跡の場所は車通りが激しいので、少し離れた集落の入り口付近でお手紙を読みました。
道路を見ても、鉄道が走っていたとは分からない普通の道路にしか見えませんでしたが、駅跡ごとにちゃんと看板が残っていて、当時の風景を少しだけ残していました。
一か所はトイレまで残っていました。
鉄塔に上ってる人がいたり、高原列車が走ってあったろう景色を見たり、今回の旅は面白かったです。