BSプレミアム『にっぽん縦断こころ旅』2022年秋。放送中です。
『にっぽん縦断こころ旅』は、俳優の火野正平さんが視聴者の方のこころの風景を自転車でめぐる旅番組。
12月19日~12月23日は鹿児島県の旅です。
- 1152日目、鹿児島県1日目は、いちき串木野市への旅
- お手紙の内容
- レンコンの収穫を見る
- 上り坂突入!
- イタリアブラザー?
- ランチはちゃんぽん
- こころの風景
- 鹿児島県の旅でめぐる町
- 『こころ旅』の放送時間は?
- 再放送は?
先週、熊本県の旅4日目八代市日奈久の旅を見た感想はこちら。↓
鹿児島県・月曜朝版の感想はこちら。↓↓↓
1152日目、鹿児島県1日目は、いちき串木野市への旅
12月20日放送分鹿児島県1日目は、鹿児島県いちき串木野市の観音ヶ池市民の森でオープニングでした。
お手紙の内容
今回のお手紙は、いちき串木野市の79歳男性から。
こころの風景は、長崎鼻の白灯台です。
今から64年前。
中学校を卒業してすぐ、当時、華の39トン型といわれた木造船のマグロ漁船に乗り、15歳で太平洋にマグロ漁へと出たお手紙の方。
それから19歳の夏まで乗船。
その頃の串木野には、100隻を超す木造のマグロ船がいました。
清水港や焼津港を母港として採った魚はほとんどその港に水揚げ。串木野港に帰ってくるのは夏の漁願相撲の時だけ。串木野港を出港するのは一年に一度きり。
船に乗って一年間は、炊事係として16人の乗組員の食事を用意したそうです。
初めて串木野港を出港したのは、1959年(昭和34年)4月10日。
上皇后さまの結婚式の日だったと覚えているというお手紙の方。
汽笛を鳴らし、五色のテープを引いて家族や友人たちの見送りを受けて、船は岸壁を離れたといいます。
これから始まる船での生活。海の上の暮らしに15の胸は不安で不安でいっぱい。
当時87歳になるおばあさんがいて、6人兄妹の長男だったお手紙の方は、小さい頃からおばあさんにとてもかわいがられて育ちました。
お手紙の方が中学卒業してマグロ船に乗ると聞いてから、おばあさんは毎日のお仏壇参りの時間が長くなったとか。
いざ初出航の日。おばあさんは港に見送りには来てくれず。
初孫の船出。別れがつらく港に行く気にならなかったんだろうと皆が思っていたそう。
しかしそうではなかった。
おばあさんは一人歩いて自宅から2キロほどのところ、長崎鼻の白灯台まで見送りに来てくれていた。
港から遠ざかる船に向かって手を合わせて叫んでいたと、後から家族は聞いたそう。
「みなさぁー、どうか孫をたのんみゃげもんでなぁー。」と。
(皆さん、どうぞ孫をよろしくお願いします。)
ただひたすら遠ざかる船に祈っていたとか。
いつまでも小さくなっていく船が、おばあさんの目には見えていたのだろうと想像するお手紙の方です。
今から64年も昔。孫の航海と無事と大漁を祈ってくれ優しくて大好きだったおばあちゃんがたたずんでいた長崎鼻の白灯台へ。
正平さん。ぜひ、チャリオ君とお立ち寄りください。
…というお手紙でした。
お手紙を読んだ正平さん「しかし15で一年間船の上って。あんま考えられへんな。今では。ねぇ。やらはったんやな。義務教育終わってすぐ。大したもんや。で今79歳。白髪のじいちゃんですって。……ハゲんかい!」とお手紙にツッコんでました。
ハゲへんわ!!
私はテレビに向かって正平さんにツッコみました。
レンコンの収穫を見る
約11kmのルートで「長崎鼻の白灯台」を目指して出発。
下り坂を下り、高速の横の道を走り、畑のあいだの道を進みました。
住宅がある前の道を通ると、歩いていた方たちに「見てますよ!」「頑張ってください。」と声をかけられ、正平さんは「ありがとうごぜえますだ。」と返していました。
雨が降ってきて、その雨が大粒になり冷たかったようです。
「急に冬きた。」と寒がる正平さんです。
すると左側を見ると、レンコンを収穫している方たちを発見。
ストップして見学。
正平さんは「冷たいだろうな~。」と収穫されている方たちの気持ちを思いやっていました。
近くにはたくさんレンコンが積まれており、すでにいっぱい収穫したあとだと推測していました。
レンコンってこんな寒い時期に収穫してるんですね。
雨や風があって寒そうなのに。
冷たい水の中に足を入れるのはしびれるだろうな…。
上り坂突入!
正平さんたちも走り続けます。
道は住宅街に入って、別府という地区内のバス停前を通過すると、上り坂に差し掛かってきました。
「ヨイショヨイショ。」とのぼり続け、途中、ママチャリを押す地元の男性を抜かしました。
上り坂はピークに達し下り坂になると「ちょっとあったまったぞ。」と言う正平さん。
一生懸命チャリオを漕いで、あったまったようです。
雨は降り続いていて、BGMは長渕剛さんの『君は雨の日に』がかかっていました。
イントロが美しい曲で、歌も切なかったです。
長渕さんが鹿児島出身だからかかったのかな??
雨も風も強くなってきて、正平さんは「たーすけてけれー!」と言っていました。
…とここまでが『朝版』です。
イタリアブラザー?
『とうちゃこ版』では、オープニングで正平さんがふざけているところが放送されていました。
ロケ日は12月5日。ワールドカップのクロアチア戦が行われた日。
正平さんは「俺好きなんだけど、長友選手な。イタリア長かったから…なんか興奮してね。」と言って右手で左胸をトントン叩き「ブラザー!」と叫んでました。
スタッフさんは笑って「いやぁ…、違います。ちょっと違いましたね。」とツッコみ。
でも正平さんは「あ、違った?」ともう一回胸を叩いて「ブラザー!」とまたわざと間違えて叫んでニヤリ。
「違う?確か…あ、」とまた胸を叩いて「ブラタモリ!」と最後までボケていました。
イタリアのブラザーって、なんかあるんですか?
と調べたら、プロレスでイタリアブラザーズという名前で組んだ方たちがいらっしゃるんですね。
ボケが何かわからないと、見てるこちらは置いてけぼりだー!
誰か正確な情報が分かる方!是非教えてください!!
ちなみに、長友選手が言っていたのは「ブラボー!」です。
ランチはちゃんぽん
『朝版』で放送されていなかったランチが、『とうちゃこ版』で放送されていました。
住宅街にあるお店です。
正平さんはカウンター席に座り、寒いのでちゃんぽんを注文。
スタッフさんは舵取り丼を注文していました。
温かそうなちゃんぽんが運ばれてきて、正平さんは「あったかい!おいしい。寒かった。」と、とても美味しそうに食べていました。
具だくさんで美味しそうでした!!!
そして、スタッフさんには舵取り丼。
正平さんはちゃんぽんを食べつつも、横目で舵取り丼を見ていました。
この舵取り丼も美味しそうでした!!!
食後。
のぼりが立っている漁協の直売所の駐車場横を通り、海沿いの道になりました。
雨は大粒。
車も横を走って、大変そうな感じになってきました。
住宅のあいだの道を通っていると、段々雨も激しくなってきました。
こころの風景
串木野港に到着。
「ここから出港しました。まぐろ・くしきのって書いてある。」と、建物に書かれた文字を読む正平さん。
海を眺め「ジュン!あそこに白い灯台がある。」と左の方を指さします。
カメラマンさんのジュンさんが左の方を映すと、遠くにうっすら白い灯台が見えました。
「87のおばあちゃん、2キロ。」と言い、白い灯台を目指してチャリオで走ります。
何隻も止まってる漁船を横目に、海沿いの道を走りました。
細い上り坂の道をあがり、白い灯台にとうちゃこ。
灯台に近づくと強風が吹き始め、一度木の陰に退避。
灯台の前にあった看板には、さのさ灯台と書かれていました。
チャリオを降りて、改めて風景を眺めます。
「遠くまで見えるな、ここは。おばあちゃーん!」とお手紙の方のおばあさんに話しかける正平さん。
お手紙の方が出港して行ったであろう方角を確認していました。
灯台から見える串木野港の風景を見ました。
天気が良かったらきっともっと奥まで見えたことでしょう。
正平さんは灯台が見える位置でお手紙を読みました。
お手紙を読み終わった正平さんは「立ち寄ったと言うか、来たよ!灯台はまだ真っ白だ!野間岬とか甑島はこんな天気だから見えませんけど、海の遠くまで見送ってたんやろな。おばあちゃん。いやー寒かった。鹿児島県1日目。とんだ目に遭った。じゃ、明日はどこ行くかな?お天気になりますように!」と言って番組を締めていました。
鹿児島県1日目。
正平さん、寒いなかお疲れ様でした。
真っ白な灯台がすがすがしかったです。
ただひたすらおばあさんが祈ったという光景が浮かぶ、海の広大さが分かる灯台でした。
鹿児島県の旅でめぐる町
鹿児島県の旅でめぐる町は、NHKのホームページの番組表によると…
- 12月20日…いちき串木野市
- 12月21日…霧島市
- 12月22日…肝付町
- 12月23日…最終日
の放送予定です。
次は、霧島市への旅です。
『こころ旅』の放送時間は?
朝版は、月~金の朝7時45分から15分。月曜はその週のダイジェスト。本番の旅は火~金に放送です。
とうちゃこ版は、夜7時から30分。火~金の放送です。
月曜のとうちゃこ版の時間は、これまでの旅のリクエスト版。クラシックの放送です。
再放送は?
朝版の再放送は、同じ日の朝11時45分から。
とうちゃこ版は、土日の朝11時から2日分ずつ放送。
土日の再放送の時間は、変更されることがあるのでご注意ください。