ぴえーるのテレビブログ

ドラマ・旅番組・漫画の感想ほか色々書いてる雑記ブログ

大河ドラマ 青天を衝け 第41回(最終回)「青春はつづく」を見た感想とネタバレあらすじ

スポンサーリンク

スポンサーリンク

NHKで放送中の吉沢亮さん主演の大河ドラマ『青天を衝け』。12月26日に第41回が放送されました。

前回、第40回の感想はこちら。↓

 

www.lovetv.site

 

 

おもな登場人物

  • 渋沢栄一:吉沢亮さん…渋沢家中の家(なかんち)の長男。剛情に自分の意思を通す強さがある。よくしゃべる。成長して商売の面白さを知り意欲的に働く一方で、百姓が武家に虐げられる社会の仕組みに疑問を持ち、世の中を変えたいと考えだす。長七郎から聞く江戸の話を聞いているうち、尊王攘夷の考えに目覚め、喜作も江戸に行った時かされたところで自分も江戸に行きたいと父に願い出て、江戸に出る。江戸で出会った志士たちに影響を受け、攘夷志士となる。惇忠が立てた横濱焼き討ち計画を長七郎に命がけで止められ中止。八州廻りから逃れるために喜作と旅立ち、以前知り合った一橋家家臣の平岡のおかげで無事京に入り長七郎に文を送って呼び寄せる。が、長七郎が上京途中で殺人事件を起こして捕らわれ、幕府に攘夷の思いを書いた文が幕府に渡ってしまう。栄一と喜作が上京の際に、平岡の家臣として上京したため幕府から一橋に問い合わせが来て、平岡から改めて一橋に仕官するかどうか?の決断を迫られる。長七郎を助ける手立てが見つかるかもしれないと思い、一橋家の仕官することになった。成一郎と関東へ出張し一橋の兵を集めて来る間に恩人の平岡が水戸浪士に殺害される。同じ頃筑波山で挙兵した水戸天狗党が上洛するという知らせを聞き、征討する慶喜に集めた兵と一緒に随行。成一郎が慶喜の密書を武田耕雲斎に届けたことで天狗党は降伏。征討せずに済む。攘夷運動の終わりを見た成一郎が武士として一橋と慶喜を守ると決断したのとは別に、篤太夫は自分の長所を生かして一橋家の勘定を任せてほしいと慶喜に提言し、受け入れられた。一橋家での自分の進む道が見えはじめた時、将軍家茂が逝去。慶喜が徳川宗家を継ぐことになり、篤太夫は成一郎、伝蔵と共に幕臣となり自暴自棄となる。が、パリ万博へ行くことになった慶喜の弟・昭武に随行することになった。パリでヨーロッパの最新技術に触れ篤太夫は嫌いだった異国から多くを学ぼうとする。大政奉還も2か月遅れて知らせが来て、日本の状況が分からないまま昭武に留学を続けてもらえるかどうか不安を感じながら過ごしていたが、水戸藩主・慶篤の急逝により昭武に水戸藩主の相続の命が下り帰国命令が出たことで帰国することになった。帰国後、見立て養子にしていた平九郎が関東の戦いで命落としたと聞かされ苦悩。旅の雑事を終えたのち故郷血洗島に帰る。次に洋行の報告と昭武の直書を持って駿府で謹慎中の慶喜に会いに行き、そのまま駿河の勘定組頭として出仕。武士と商人が協力して働く商法會所を設立し軌道に乗せる。その後、新政府から大蔵省への仕官の話が来て最初は断るつもりだったが大隈の話に心を打たれ新政府入り。改正掛で次々と新しい制度作りを進めるが大久保利通ににらまれたのち、改正掛を潰された。国立銀行設立の際の商人たちと話しているうちに、三井の番頭・三野村に「徳川の世と同じ。」と言われたことで官より民と感じ、大蔵省を辞める決意をした。民の一人として第一国立銀行設立に動き、総監役に就任。小競り合いを続ける三井と小野組、外国人の間に立ち取り持つ役割を果たす。しかし小野組が政府に官金貸し付けの担保を求められたことから、小野組に大口貸付をしていた第一国立銀行が巻き込み破産の危機に瀕したが、小野組の犠牲により危機を乗り越えた。大蔵省による西洋式の銀行監査の末、三井への特権が剝奪され栄一が第一国立銀行の頭取に就任。次に外国人商人の蚕卵紙の買い控え問題起こり、大久保に用意してもらった政府のお金で売れ残った蚕卵紙を買い集め外国が逆に買うというまで燃やすという奇策をし、栗本、福地に新聞報道してもらい世論を動かし外国政府をも動かす。また、銀行を作ったことで金中心の世の中となり貧民や職のない者が増えたことに責任を感じた栄一は、養育院を引き受けることにした。三菱の創業者・岩崎弥太郎から手を組まないかと誘われたが、個人か合本かで大激論の末断る。三菱が独占する海運業に対抗するため合本で海運会社を作ることにしたが三菱の妨害にあい頓挫。その後密かに政府の支援を受け新たな会社・共同運輸会社を設立。同じ頃長女のうたを嫁がせた矢先、妻の千代が病に倒れ急死してしまう。兼子と再婚し、東京養育院の慈善会を任せる。日清戦争に勝利し、日本が幕末以来目指していた欧米列強に対抗できる一等国に育っていくなかで、幕末の慶喜の偉業を後世に伝えたい思いに駆られ、福地と共に慶喜の伝記を作りたいと思い立つ。

渋沢家・中の家

  • 渋沢てい:藤野涼子さん…栄一の年の離れた妹。中の家を継いだ。
  • 渋沢市郎:石川竜太郎さん…ていの夫。
  • 吉岡なか:村川絵梨さん…栄一の姉。はっきりとした物言いをする。同じ村の人に嫁ぐ。

 

尾高家

  • 尾高惇忠(新五郎):田辺誠一さん…栄一の従兄。尾高家の長男。
  • 尾高やへ:手塚理美さん…栄一の伯母。惇忠、長七郎、千代、平九郎を育てた母。
  • 尾高きせ:手塚真生さん…惇忠の妻。
  • 尾高勇:畑芽育さん…惇忠の娘。 

 

渋沢の家族

  • 渋沢千代:橋本愛さん…栄一の従妹で惇忠、長七郎の妹。栄一の先妻。コレラにかかり亡くなる。
  • 穂積歌子:小野莉奈さん…栄一の長女。
  • 穂積陳重:田村健太郎さん…元宇和島藩士。歌子の夫。東大法学部講師。
  • 阪谷琴子:池田朱那さん…栄一の二女。
  • 阪谷芳郎:内野謙太さん…琴子の夫。岡山の漢学者阪谷朗廬の息子。大蔵省入省すぐに琴子と結婚。
  • 渋沢文子:八木優希さん…栄一とくにの娘。
  • 渋沢篤二:泉澤祐希さん…栄一の次男で嫡男。
  • 渋沢敦子:藤松祥子さん…華族。篤二の妻。
  • 渋沢敬三:笠松将さん…篤二の息子。
  • 渋沢信雄:…篤二の息子。
  • 渋沢兼子:大島優子さん…家族を養うために芸者となる。栄一の後妻。
  • 高梨孝子:土居志央梨さん…兼子の姪。
  • 渋沢武之助:山口大地さん栄一と兼子の子。
  • 渋沢正雄:竹内寿さん…栄一と兼子の子。
  • 渋沢秀雄:遠藤健慎さん…栄一と兼子の子。
  • 渋沢喜作:高良健吾さん…栄一の2歳年上の従兄で幼馴染。渋沢一族「新屋敷」の長男。千代との結婚を望んでいたが、千代と栄一が思い合ってると知り身を引き、自分はよしと結婚。江戸に出て尊王攘夷の考えに触れ攘夷志士となる。惇忠が立てた横濱焼き討ち計画を長七郎に命がけで止められ中止。八州廻りから逃れるために栄一と京へ旅立つ。栄一共に一橋家に仕官する。上洛しようとする水戸天狗党に慶喜の密書を届けに越前に行った時に、天狗党の軍が疲弊しているのを目の当たりして攘夷運動の成れの果てを見たとショックを受け、これからは一橋と慶喜を守るために生きると決断する。朝敵とされた慶喜の汚名を雪ぐため戦うことに。京から大坂、江戸武蔵、箱館へと転戦。箱館の戦で土方に生きろと背中を押され逃げ延び、2年半投獄されていた。名前を「喜作」に戻し栄一の推薦で新政府に入った後イギリスで製糸を学ぶ。帰国後政府を辞め横浜で商いを始める。大正になるまで生きて亡くなる。
  • 渋沢よし:成海璃子さん…けんかの仲裁をした喜作に一目惚れし、自ら結婚を申し出る。結婚後は喜作を尻に敷き、栄一と喜作が上京してからは千代を支え夫の留守を守る。

 

第一国立銀行

  • 佐々木勇之助:長村航希さん…小野組から第一国立銀行に移籍。のちに第一国立銀行を任されることになる。

 

静岡

  • 徳川慶喜:草彅剛さん…水戸藩藩主・徳川斉昭の七男で徳川幕府最後の将軍となる。父・斉昭の期待を一身に受け、厳しい教育を施される。一橋家当主の後継が亡くなったことで、老中阿部正弘の推薦で一橋家に養子に入る。刑部卿となった自分を政界に復帰した父・斉昭が頼ってくるが将軍になる望みはないと言い切るが、いざ家茂が将軍となると寂しさを感じる。井伊直弼から隠居を言い渡され邸内の一室に籠る。謹慎中に父斉昭が亡くなり、親不孝をしたと泣いた。井伊大老が亡くなったことで政界復帰。将軍後見職に就き京に入ったが、攘夷ばかり口にする公家や天皇をどう説得すればよい分からない。自分を政界復帰に推してくれた島津久光とは合わない。栄一と出会ったことで徳川を守ると覚悟を決め、薩摩の政治介入を阻止しようと、中川宮の前で久光、春嶽、伊達を「天下の大愚物」と言って朝議参与を解散させてしまう。その後禁裏御守衛総督となる。家茂逝去で徳川宗家を継ぎ、家茂に代わり長州征伐をしたが敗戦の色が濃くなると退却。孝明天皇の強い願いに応え、征夷大将軍となる。パリ万博に派遣する弟の昭武の一行に篤太夫(栄一)を加えた。大政奉還をして朝廷に政権を返上。朝敵のみなされ大坂城を出て江戸に戻り上野の寛永寺で謹慎。のち水戸から駿府へ移る。静岡で趣味に生きていたが、日清戦争で日本が勝利をきっかけに世間の目が和らいだところで東京巣鴨に帰ってきた。栄一から伝記を残したいと言われ断っていたが、栄一が生死をさまよう病となり生きて欲しいと懇願。生きてくれるなら何でも話すと言い、伝記編纂に協力した。大正まで生きて亡くなる。
  • 猪飼正為:遠山俊也さん…慶喜の家臣。
  • 川村恵十郎:波岡一喜さん…一橋家家臣から幕臣。明治以降は静岡へ。その後日光東照宮に移る。
  • 徳川美賀子:川栄李奈さん…慶喜の正室。慶喜が謹慎が解かれたのち静岡に移る。病となり東京で亡くなる。
  • 徳川鏡子:齋藤さくらさん…慶喜の娘。

 

 

新政府

  • 三条実美:金井勇太さん…攘夷志士たちに押され、幕府に攘夷せよと言う。明治以降は新政府に入る。
  • 明治天皇(睦仁親王):犬飼直紀さん
  • 井上聞多(馨):福士誠治さん…尊王攘夷派の長州藩士だったが、伊藤俊輔らとロンドンに渡り開国派に。維新後は大蔵省に入り、栄一はその右腕となる。
  • 井上武子:愛希れいかさん…井上の妻。
  • 井上末子:駒井蓮さん…井上の娘。
  • 伊藤俊輔(博文):山崎育三郎さん長州藩士。のち初代首相となる。栄一が渡米中に暗殺される。
  • 大隈重信:大倉孝二さん…佐賀藩士族。明治2年新政府で大蔵省の実質トップに就任。栄一を新政府に誘う。大蔵省のトップとして働くが、政府を追われる。
  • 大隈綾子:朝倉あきさん…大隈重信の妻。
  • 杉浦愛蔵(譲):志尊淳さん…外国奉行支配調役。徳川昭武のパリ派遣随行員の一人。栄一と親交を深めて維新後は静岡に行き、のちに栄一が明治政府で栄一が立ち上げた民部省改正掛の一員となる。
  • 前島来輔(密):三浦誠己さん…遠州中泉奉行。元幕臣たちの働き口や住まいを与えようと奔走。栄一の要請で新政府に入り近代的な郵便制度を確立。日本郵政の父となる。
  • 赤松則良:上村海成さん…元幕臣。造船の父となる。
  • 玉乃世履:高木渉さん…岩国藩出身。改正掛で旧幕臣の栄一に反発していた。のち司法官となる。
  • 加藤高明:天田暦さん…外交官。

 

商人

  • 岩崎弥之助:忍成修吾さん…三菱商会を創業した岩崎弥太郎の弟。
  • 益田孝:安井順平さん…三井物産総括。
  • 大倉喜八郎:岡部たかしさん…大倉財閥の創業者。栄一と鹿鳴館、帝国ホテルを設立。

 

 

第41回のあらすじ

大正8年(1919)。ドイツの降伏で第一次世界大戦が終わった。

日本は、パリ講和会議で人種差別の撤廃を欧米各国に求める一方で、中国山東半島でのドイツの権益を要求。

その事で各国から日本は警戒されるようになり、中国や朝鮮半島では反日運動が激しくなっていた。

 

栄一は、喜寿を境に実業界から完全に引退。

しかし未だ勢いは衰えず、飛鳥山の自宅で新聞報道を読み、大戦を終えて世界が共存共栄するべき時に日本が嫌われていっている状況に憤っていた。

長年編纂してきた慶喜の伝記は完成。

規則正しい生活を送り、朝7時には栄一と話をしたいという人たちに会って話を聞き、さらに公衆衛生や都市開発、社会事業と毎日平均15時間は熱心に働いた。

そしてたくさんの子や孫にも恵まれた。

最初の内孫である敬三は、栄一の希望通り仙台二高を卒業。東京帝国大学経済学部で勉強をしながらも、生物学者への夢も捨てきれずにいた。

敬三は栄一がパリで撮った写真を目にし、祖父の栄一をもっと知りたいと思うのだった。

 

栄一は、悪化する日米関係を民間のレベルで改善しようと活動を続けていた。

孫の敬三も、栄一に細かい指示を受けながら、栄一が招いたアメリカの実業家家族に日本の家庭のもてなしをした。

一方。栄一は当時の首相・原敬を訪ね、ワシントンでの国際会議への出席の返答を渋っている理由を直接聞き、軍縮・安全保障の交渉に是非とも行くべきだとすすめた。

「軍縮はしよう。移民排斥は断じて反対だ。」という見本の思いを伝えるべきと言う栄一に、移民問題はアメリカの内政問題だと言う原敬。日本が安易に口を出せないと言う。

体調を崩しながらも。何万もの日本人移民の生活が脅かされているのに政府は何も手を打たないのか!と力強く訴える栄一だった。

 

大正10年(1921)。敬三は東京帝国大学を卒業。

栄一は、第一国立銀行に入る前に、まずは海外事情を知るために横浜正金銀行で働きたいという敬三の願いを聞き入れた。

 

栄一は、病床の大隈重信を見舞いに行った。

50年来の付き合いとなった大隈と栄一。今では体調が悪くなる機会も増えてきた。

が、ワシントン軍縮会議が日本の分岐点になると思うと眠れないと話し、移民問題は根が深いと訴える栄一。

移民問題を解決しておかなければ、かつて攘夷に走った頃のようになってしまうと危惧していた。

日本が孤立してしまうと危機感を抱きワシントンに行くという栄一を「もうちっと余生を楽しめ!」と止める大隈。

その一方で「いまだ君に頼るしかなかとは、情けなかことであるんである。」と本音も漏らし「決してアメリカと戦争の道を進んではならんのである。」と栄一に思いを託した。

 

栄一は、ワシントン会議に合わせて4度目の渡米をした。

海軍大臣・加藤友三郎より、アメリカの記者たちは栄一の発言の方に興味を持つ。

排日運動の解決を第一に考える栄一は、旧知のアメリカの財界人に訴えると言ったが、駐米大使の幣原喜三郎(近藤芳正さん)は、会議の議題に出すのは反対。

まずは海軍の軍備政権問題に意見する事が得策だと言う。

幣原によると、アメリカが裏で日英同盟の破棄をイギリスに要求しているというのだ。

妥協点を見出さなければならないと言う幣原に、栄一は移民問題が大事なのは、国と国関係が結局は人と人の関わりだからだと言う。

そして「外交だけでなく、人間の根っこの心の尊厳の問題。」と強く訴えた。

幣原は栄一の考えを受け入れる姿勢を取りながら話を流し、原敬首相が暗殺されたことを伝えた。

 

ワシントン会議で、日本は欧米の提案を受け入れ世界は少し軍縮へ進んだ。が、排日移民問題は議題にものぼらず会議は終わった。

しかし栄一は旅を続け、平和を訴え続けた。

旅の途中で大隈重信が83歳で死去した。

 

大正11年(1922)。敬三は岩崎弥太郎の孫・木内登喜子と結婚。

夫婦でイギリスに渡り、横浜正金銀行のロンドン支店に勤務することになった。

敬三は父・篤二に海外に行く挨拶をした際、篤二が家族に申し訳ないことをしたと悔いていたと栄一に伝え、父・篤二に家に戻ってもらいたいという考えも伝えた。

敬三は、人間にとって親子の情は永遠に切れることのない特別な情。父・篤二を許し、再生の機会を与えて欲しいと栄一に頭を下げたのだった。

 

大正12年(1923)9月1日。関東大震災が起きた。

自宅にいて被災した栄一無事だったが、兜町の事務所が全焼。明治に苦労して集めたものが全て焼失した。

落胆した栄一だったが、篤二が父を心配して駆けつけてくれて空気が一変。離れて暮らしていた息子の無事を涙を流して喜び、篤二を抱きしめた。

 

栄一は、避難者の救護所を開くことを内田首相代理、水野内相、宇佐美東京知事と永田市長、警視庁にも伝えるよう家族に指示。

焼け出された者たちが過激な人たちに扇動されて襲ってくるかもしれないと、血洗島に避難するようにすすめてきた息子たちを「私のような老人は、こんな時に僅かなりとも働いてこそ、生きる申し訳が立つんだ。」と聞き入れなかった。

そんな栄一の姿に篤二は「父上の言うようにさせてやろう。そういう人だ。あれこそ渋沢栄一だ。」と言うのだった。

ロンドンにいた敬三には、電報で家族の無事が伝えられた。

 

栄一の電信に応えて、イギリス、アメリカに事業家から寄付金を送って来てくれ、なかには、缶詰を送ってくれる人もいた。

中華民国からは多くの寄付金や品物が届き、同情集会も開かれているとのこと。

栄一は、海外の温かい支援に「友とはありがたいものだ。」と感激した。

 

しかし、アメリカ議会で、日本人に対する差別待遇をアメリカの国策とする議案が提出され、翌年排日移民法が新移民法が正式に上下両院を通過。

日本ではアメリカ討つべしの声が出てきて、栄一の努力は無駄となった。

 

ロンドンの敬三夫妻に男の子が生まれ、栄一は『雅英』と名付けた。

敬三は日本に帰国し、生物学者になる夢は叶わなかったが、かつて慶喜を深く知りたがっていた栄一と同じように、栄一を深く知りたいと栄一本人に伝えた。

f:id:lovetv:20211227213751j:plain

 

昭和6年(1931)。

幕末の事が書かれた本を読む子供たちに、新撰組の土方歳三と友だったと語る栄一。かつて共に戦ったと話した。

夏。

中国は異常な長雨の為、大水害となった。

東京商工会議所、日華実業協会、赤十字社は中華民国水災同情会を設立。91歳となった栄一が会長に就任した。

しかし募金活動をしても盛り上がらず。

一般国民に周知徹底させるために、副会長の児玉謙次の求めに応じて、栄一がラジオで広く国民に呼びかけることになった。

体調がすぐれぬ栄一の為、ラジオの機材が渋沢邸に持ち込まれ自宅でラジオで発信することに。

栄一は隣国・中国との昔からの関わりの話から始まり、中国は水災で1000万人の人が罹災したと伝えた。

そして関東大震災の時に、反日運動のさなかにもかかわらず中華民国の人たちが多くの義援金を送ってくれ、どれだけ自分たちが励まされたかを思い出してください。と訴えた。

そして「今度は日本が立ち上がる番だ。」と言い「手を取り合いましょう。困った人がいたら助け合いましょう。人は人を思いやる心を誰かが苦しめば胸が痛み、誰かが救われれば温かくなる心を当たり前に持っている。助け合うんだい。」

「みぃんなが嬉しいのが一番なんだで。」と母・ゑいが言っていた言葉で国民に呼びかけた。

 

募金は驚くほど集まったが、満州にいた日本の関東軍が奉天で鉄道を爆破するという満州事変を起こした。

同情会の救援物資は中国の厳重な抗議の意思表明の為、受け取ってもらえなかった。

 

病床の栄一を、篤二が見舞った。

弱ってきた栄一に妻の兼子が寄り添った。

昭和6年11月11日。渋沢栄一が亡くなった。

 

渋沢栄一子爵追悼式で挨拶をすることになった敬三。

世間で偉人だと思われている祖父の栄一を「的外れな批評」だと思っていた。

しかし敬三にとって祖父・栄一は「よく食べよく喋り、時には自分勝手で時には子供のようにボロボロと涙を流し、そう、偉人というよりむしろ郷里・血洗島の青空の下で励む一人の青年そのもの。」と評したのだった。

 

そして、栄一からの伝言として「長い間お世話になりました。私は100歳までも生きて働きたいと思っておりましたが、今度という今度は、もう立ち上れそうにもありません。これは病気が悪いのであって、私が悪いのではありません。死んだあとも私は、皆様の事業や健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも他人行儀にはして下さらないようお願い申します。渋沢栄一。」と結んだ。

 

ーーー

敬三は血洗島を訪ねると、畑を耕している若い頃の栄一が迎えてくれた。

今の日本の状況を聞かれ「恥ずかしくてとても言えません。」と答えると「何言ってんだい。まだまだ励むでえ!」と笑い飛ばされたのだったーーー。

 

 

……というお話でした。

 

徳川への見方が変わった

2月から始まった『青天を衝け』41回で終わりました。

幕末の事が長すぎて、明治になってからの話が短かったですね!

もっと事業のことをやるのかと思っていたので残念でした。

 

が、これまであまりよく描かれていなかった最後の将軍・慶喜のことを詳しく描いてくれたのはよかったです。

慶喜さんは言うことがコロコロ変わり、周りを振り回して最後逃げたと思っていました。

が、戦争を避けようとして逃げたこと、朝敵とならないために抵抗しなかったと知ると、慶喜さんもちゃんと考えていたんだと見る目が変わりました。

 

それと、渋沢栄一、喜作、猪飼さん、川村さん、これだけの家臣たちに慕われ愛されて、明治になってからもみんな慶喜のことを悪く言わない。

こんなにも人を引き付ける魅力のある人物だったとは思いもよりませんでした。

 

私は正直徳川が好きではなかったですけど、『青天を衝け』を見て、幕末の徳川の事は好きになりました。

草彅剛さんの慶喜が本当によかった!

自分に輝きがあり過ぎるから周りの命運を変えてしまうとサラッと言ってみたり。

平岡が亡くなった時の「どうしてどうして…。」と何度も言って泣く姿はこちらももらい泣きしました。

感情を抑えるところ、爆発させるところと全く変わる表情の演技が素晴らしかったです。

言葉で語らなくても、表情で分かってしまう。

草彅さんだったからこそ、慶喜のことが好きになれたのかもしれない。

こんなドラマを作ったら、徳川だけが悪くないっていうドラマが増えてきそうな気がします。

今後の幕末ドラマは、徳川側の主張も理解するみたいな話になっていけばいいのにな。と思いました。

 

パリの時代が一番輝いていた

栄一の生涯の中で一番輝いていたのは、パリの随行員時代だと思います。

トップの昭武に信頼され、プライドの高い武士たちを一喝し、お金のやりくりも頑張って、言葉の通じない海外でアパートまで借りて家賃も値切る。

しかも、株も買って儲けまで出してしまう。

断髪も受け入れて、外国語も理解できるようになっていました。

あんだけ嫌っていた異国の文化を素直にスゴイと受け入れ、利用までしていくしたたかさ。

どこに行っても生きていける人ってこういう人の事を言うんだな。と思いました。

商人でも百姓でも、武士でも、外国でも生きていける。

どんな人とも話をしていける頭の良さ。

 

パリでの栄一を描いていたのは短い時間でしたが、見てて一番面白かったです。

ちなみにパリ随行員の中で私が好きだったのは、栗本鋤雲さんでした。

自分だって幕府の偉いさんなのに、偉ぶることなく栄一を信頼して、水戸の人たちへの本音を栄一にポロっと言ってくれる。

ニヤッとする笑顔に、いい人だな~面白いなーと思っていました。

 

『青天を衝け』で、もう一回放送して欲しいところはどこか?と聞かれたら、私はパリ時代を推します。

遠い異国で身分に関わらずみんなで困難をどうにかしようと動いているのがよかったです。

話し合いで揉めても、民部公子の昭武さんが最後はビシッとひとこと言ってくれる。

いいバランスの人たちだな~と思っていました。

 

41回放送で、途中放送休止もありましたが、休みの間中もこれからの放送のミニ番宣番組があったりして、放送再開の期待をずっと持ち続けることが出来ました。

見続けてきてよかったと思います。

面白いいいドラマでした。

 

以上、『青天を衝け』第41回(最終回)の感想でした。

 

動画配信の紹介

『青天を衝け』の見逃し配信はNHK+(プラス)NHKオンデマンド(有料)で!

 

NHK+(プラス)は、NHKの受信契約がある方なら追加の料金なしで使えます。

NHK+にご興味をお持ちの方はこちらをご覧ください。↓

plus.nhk.jp

 

NHKオンデマンド(有料)は、U-NEXT、amazonでも見られます。

 

U-NEXTamazonにご興味を持たれた方はこちらをご覧ください。↓

 

本ページの情報は2021年12月時点のものです。 

最新の配信状況はU-NEXT、amazon各サイトにてご確認ください。 

 

 

 

 

www.lovetv.site

www.lovetv.site