ぴえーるのテレビブログ

ドラマ・旅番組・漫画の感想ほか色々書いてる雑記ブログ

英雄たちの選択「渋沢栄一 七転八倒の青春」を見た内容と感想

スポンサーリンク

スポンサーリンク

毎週水曜夜8時からBSプレミアムで放送中の『英雄たちの選択』。歴史学者磯田道史さんと杉浦友紀アナウンサーが司会の教養番組です。

www4.nhk.or.jp

 

 

歴史上の出来事を振り返り、もし自分がその立場だったら何を選択するか?

実際に選択されたものと、ゲストの人たちが考えた選択を比べたり、英雄が何故その選択をしたか?ということを話し合う番組です。

私はこの番組が好きで、木曜日に放送されていた時からほぼ毎週観ています。

 

4月7日に放送されたのは「渋沢栄一 七転八倒の青春」。

今年・2021年の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公であり、日本資本主義の父と言われる渋沢栄一<1840(天保11)~1931(昭和6)>のことが取り上げられていました。

 

生涯で500もの会社を設立し日本経済の発展に多大に貢献。

晩年は国際交流にも力を尽くし、ノーベル平和賞の候補に2度推薦されたが、渋沢の青春時代は平和とは程遠かったそう。

渋沢の青春時代は黒船が来航し、打ち払えと日本中で攘夷が叫ばれていた幕末。

若い渋沢は攘夷を実行しない幕府を倒すため、同志を集めて倒幕のテロを計画していた。

このことがきっかけで運命の出会いをすることになるーーー!

 

ーーここまで聞いて『青天を衝け』を見てる私としてはその出会いは慶喜??と早く知りたい!!と思いました。

その前に栄一が倒幕のテロをしようとしてたことに驚きました。

さぁ、どんな話が聞けるのか?

若い日の渋沢にどんな選択が迫られていたのか?

面白そうな内容だと思いました!!

 

ーーー

昨年、70歳代の渋沢栄一の精巧なアンドロイドが誕生。

渋沢栄一記念館の青淵文庫で、そのアンドロイドが話している場面がテレビに映っていました。

渋沢の写真を何度か見たことがありますが、本当にそこにいるような感じを受けました。

音声はちょっとたどたどしい感じは受けました。渋沢栄一は肉声が残ってるからつなぎ合わせて合成したのかな?

 

ーーーーー

1840年天保11年2月13日に、深谷の血洗島の農家に生まれた渋沢栄一。

70歳になった栄一が人生を振り返った時に、明治維新前後の数年がとても長かった心地がし、忘れようも忘れられないとのこと。

動乱の時代に己の信念を追い求めた渋沢栄一の原点に迫る今回の『英雄たちの選択』です。

 

 

ゲストの専門家の方々

磯田先生と杉浦アナウンサーに加えて、3人の専門家の方々もご出演なさってました。

  • 『一億三千万人のための『論語』教室』の著者、作家の高橋源一郎さん
  • 脳科学者の中野信子さん
  • フランス文学者で、渋沢栄一について著書がある鹿島茂さん

 

それぞれのお立場からのご意見をおっしゃっておられました。

 

勉学と家業を両立

埼玉県深谷市。武蔵の国の麦の栽培や養蚕の他、藍染に使う藍玉の製造販売で財を成していた豪農の渋沢家で誕生。

渋沢栄一の父・市郎右衛門は藍の葉の目利きとして知られていた。

栄一は、6~7歳の頃から親戚の尾高惇忠のもとで学問を始める。

その尾高家が保存されていて、番組では『尾高惇忠生家』が紹介されていました。

自伝『雨世譚』で渋沢は「里見八犬伝のような小説や軍記物が好きで、正月の挨拶回りの時も読みながら歩いて溝に落ちて、晴れ着を汚して大層母親に叱られたこともあった。」とのこと。

この話は、『青天を衝け』でも描かれていましたね!

お姉ちゃんとお母さんに怒られて栄一が自分で洗ってました。

そんな栄一に父は家業にも精を出すようにと言っていたらしく、13歳には一人で藍の葉の買い付けに行っていた。

 

ーーーこの買い付けの話。

『青天を衝け』でこの買い付けのシーンを子役の子じゃなくて吉沢亮さんがされていたら、大きくなって買い付けに行ったんだと思っていたら、13歳!

今なら中1じゃないですか!

そんな年から家業の重要な役割をもう担ってただなんて、幼い頃から優秀だったんですね!

ーーーーー

 

藍の葉農家を番付する

藍玉の出来は藍の葉の善し悪しに左右される。そこで栄一は、農家に良質な藍を育ててもらうため工夫する。

農家を力士に見立て、葉の質に応じて番付にした。

これを農家を集めた宴会の余興に配ったという。

番組ではその渋沢栄一記念館に展示されている番付表を映していて、行司役のところに渋沢栄一郎と、渋沢喜作の名前が並んで書いてありました。

これも『青天を衝け』でやってましたね!その話が描かれていた回の感想です。↓

 

www.lovetv.site

 

年上の人も若い人も関係なしに、いい葉を作って人順に席に座ってもらうハラハラした場面が描かれていて面白かったです。

渡辺哲さん演じる年上農家の人が、番付上位の農家さんに素直に育て方を聞いていて、栄一の作戦がいい方に流れてホッとしました。

ーーーー

 

番組では、渋沢栄一資料館学芸員の馬場さんが、この番付から、後年日本経済を発展させた栄一の原点が読み取れる。という話をされていました。

番付はただ順位を決めて表彰するというのではなく、情報共有を行う勉強会になっていたとのこと。

上位の人がどんな工夫をしていい藍を作っているのか。それを村で共有することで村全体が豊かになり人々も豊かになる。

「大きく言えば、深谷に(渋沢栄一の)原点がある。」とおっしゃていました。

 

ーーー確かに、ドラマでもどういう肥料を使ったのか?と聞いていました。

私はドラマを見た時は、皆の前で表彰する事がモチベーションにつながるとか、そんな浅い感想しか持っていませんでした。

この学芸員さんの話を聞いて、なるほどな~そういう意味があったのか。と感心しました。深い意味があったんですね!!

 

攘夷思想に傾く栄一

嘉永6年(1853)6月。栄一が藍の買い付けに行きだした頃。江戸では、ペリー提督の黒船来航で大騒ぎになっていた。

常陸国水戸では、外国を打ち払う攘夷が叫ばれ、軍事演習まで行われていた。

栄一の師匠・尾高惇忠も攘夷思想に傾倒。

安政3年(1856)。16歳になった栄一に、政治に不満を抱く事件が起こる。

血洗島村を治める岡部藩の代官から、御用金差し出しの命令がきたことから始まった。

御用金とは、逼迫した藩の財政では賄えない出費を領民に供出させるもので、当然返済はない。

豪農の栄一の家では、事あるごとに要求されていた。

用事があっていけなかった父に代わって他の当主と一緒に陣屋に出向いた栄一。

代官は横柄な態度で栄一に500両を要求。

他の当主たちが平伏して引き受けるなか、栄一は「私は代理ですから一度帰って父に承諾を得てから改めてご返事に参ります。」と答えた。

代官はこんな判断も出来ないのか?と栄一を子ども扱いしてバカにした。しかし栄一は頑として聞かず陣屋を出て行った。

腹が立った栄一は、その根本を考えた。

あんな下劣な男が代官を務めているのは、本を正せば藩がだらしなく、藩がだらしないのは幕府がいけないのだ。と考えた。

その後御用金は払ったが、その後も次々と事件は起こる。

栄一19歳の時に横浜が開港。

その翌年には、大老井伊直弼が天皇の許しも得ずにアメリカと通商条約を結んだことで水戸藩士らに殺害される。桜田門外の変が起こる。

 

栄一21歳の時に、農閑期だけという約束で江戸に出た。

漢籍の塾や北辰一刀流の千葉道場に出向き、最新の情報に触れていくうち、攘夷をしない幕府を倒すしかないと思い詰める。

そして尾高惇忠といとこの喜作らと共に倒幕の策を練る。

策とは、横浜を焼討ちして外国人を片っ端から斬り殺すというもの。

藍玉の売り上げから流用したお金で刀や槍などを100本買い揃えた。

決行する前にまず、高崎城を襲撃してから更に武器を補充。その後鎌倉街道を横浜へ南下する作戦だった。

攘夷を決行できない幕府は滅亡すると一途に思い込んでいた栄一たちは、自分たちが血祭りになって世に騒動を起こす引き金になろうと考えていたという。

この決意を、尾高惇忠が"神託"と題して檄文を書いた。

自分たちは神から託されて行動している正当なものだとし、外国人を打ち払うのだと人々を扇動するため、強い言葉で書かれていた。

その"神託"で集まったのは、江戸で知り合った者たちと、惇忠や栄一たちに感化された農民たちの総勢69人。

決行は11月23日。冬至の日と決定。

 

文久3年(1863)10月29日。決行の日が近づいて尾高家の2階に集まった栄一たち。

京へ情勢を見に行った惇忠の弟・長七郎が帰郷し、栄一たちに計画の詰めをしようとしたところ、長七郎が栄一たちの計画を聞いて猛烈に反対してきた。

長七郎は、京で攘夷派の反乱が力ずくで押さえ込まれて、攘夷派の公卿までが朝廷から放逐されるのを目の当たりにしていた。

長七郎と栄一郎は真っ向から意見が対立。興奮してお互いを殺してでも計画を止めるか決行するか、激論が続いて夜が明けた。

栄一は、長七郎の話を聞いてよくよく考え直してみると、百姓一揆のように見なされたらあとに続く志士もないだろうし、犬死になってしまうかもしれないと悟った。

そして、長七郎が自分たちの命を命がけで救ってくれたのだと思えたのだという。

 

ーーーこの話を聞いて感動しました。

『青天を衝け』を今第8回まで見ていて、栄一の結婚の宴に長七郎がボロボロの格好で近づいてくるところで第8回が終わっていました。

それを見て私は、次回は桜田門外の変と予告もあったし、長七郎は安政の大獄か桜田門外の変のどっちかで亡くなってしまうのだろうと予想してました。

『龍馬伝』の岡田以蔵みたいに、剣術の腕を買われて純粋なことをいいことに、利用されてしまうのだと思っていました。

それが、長七郎は生き延びて栄一たちの計画を全力で止めるのだと知って、とても安心しました。

生きて惇忠や喜作、栄一と幼馴染と兄を救うだなんて、とても重要な役割を果たす人じゃないですか?!

これからその激論の場面が『青天を衝け』で見られるのかと思うと、先の話が楽しみです。

ああよかった。千代のお兄ちゃんがちゃんと生きていてくれる!

安心して第9回が見られます。

 

あと、今までの大河ドラマ『龍馬伝』や『花燃ゆ』『西郷どん』を見ていると、維新志士の人たちは考えが柔軟じゃなくて、自分の意見を貫こうとして人を殺してまで決行してしまう人が多かったです。

が、栄一は、ちゃんと人の意見を聞いて計画を止められる人なんだなと感心しました。

幼馴染が必死になって命がけで説得をしてくれている。この人がここまで言ってくれるんだから、聞かないといけない。

そう思える人の良さが見てて好感が持てます。

武市半平太が自分の意見を通すために、吉田東洋殺害まで行ってしまったのを思い出すと、渋沢はなんと素直で柔軟な人か、と思ってしまいます。

武士と農民の違い?

いやいや、自分たちは百姓だから百姓一揆に思われるかもしれないと俯瞰で考えられる冷静さがあるのは、商売人で人をしっかり見てきて、人の気持ちをどうやって盛り立てられるとかを知り尽くしている栄一だからでは?と思いました。

どこかでこの計画は危険だ。と思う気持ちもあったんでは?と思いました。

 

f:id:lovetv:20190812003323j:plain


話を戻します。

 

倒幕計画を断念した栄一たちはまだ安心できなかった。計画が幕府に知れると捕まる可能性があったからだ。

栄一は、人と情報が集まる京で身を隠すことにし、喜作と共に故郷の血洗島を出奔したーーーー。

 

"神託"について専門家の意見

栄一たちのテロ計画に出てきた檄文"神託"について。杉浦アナウンサーが専門家の方たちに話を聞いていました。

高橋源一郎さんの意見

まずは作家の高橋源一郎さん。繰り返し"神託"を読んだという高橋さんは、これを"アジビラ"と評していました。

"アジビラ"とは、大衆の感情や情緒に訴え、扇動するためのビラだそうで、アジビラというは本気で書いてるかどうかわからないところがあるとのこと。

アジビラは、仲間内の結束を固めるために書いている。

""信託"に書かれた言葉が持ってる世界観とか在り方を、共有している集団がその当時国にはたくさんいた。自分がもしその代表だとして考えてみると、もっと前へ行こうという役割意識が混じったのでは?と感じ胸が痛い。と高橋さんはおっしゃっていました。

 

鹿島茂さんの意見

次にフランス文学者の鹿島茂さんは、高橋さんのアジビラを話を受け「まず書いてある内容じゃないんですよ。書いてある内容に優れたこと書いてあるのは逆にね、アジビラとして効果なくなっちゃうの。」と、まず"アジビラ”についての説明。

理性的になってしまうとダメで、「エモーショナル。エモーションを高めるっていうことがね、アジビラの第一原理。」とおっしゃっていました。

このエモーショナルという言葉に強く反応したのが脳科学者の中野信子さん。

「確かに鹿島先生のおっしゃる通りで、内容そのものの合理性とか論理性とかそういうとこよりも音楽性なんです。思考を止めなきゃいけないから。読んでる人の。」というと、専門家の方口々に「ロックンロール。」「リズム」とおっしゃってました。

 

中野信子さんの意見

鹿島さんの意見に同意されてた脳科学者の中野信子さんは、杉浦アナウンサーから「無謀な計画なのか?若さも感じるなという印象もあったのですが…。」と質問を受け。

中野さんはまず若さもあるが、渋沢の場合は違うものも感じると言います。

「人心操作が巧みな人だなと感じるところがあって、人間は強い者の言うことは聞く。選ばれし者として仲間と戦うことに異様な興奮を覚える種族なんですよね、人間という生物そのものが。それをどこか勘で見抜いていて、そこを刺激するように書いている。」と分析していました。

 

ーーー"神託"。

テレビ画面越しではどんな文章かよく分かりませんでしたが、当時の人たちにはとても魅力的な言葉が並んで参加したい!と思わせるものがあったんだろうなと推測できます。

磯田さんの意見

専門家の方たちの意見を聞いて磯田さんは、"神託"の文章に深層心理が現れてると言ってました。

まず天皇には、敬うように大きく書いているのに対して、宛名には「当所年寄り共」と、村役人たちを上から目線の見下した呼び方をし、さらにわざと小さく書いているところから、いかに普段腹を立てていたのかが分かると指摘。

では本当に天皇を敬ってるのか??と言うと、文久という年号の前に「天地再興」と言葉を付けたりして、実際は幕府への不満や村の中での村役人年寄りに対する苛立ちといのが背景にあるのでは?とおっしゃってました。

 

ーーーこの意見はなるほどな~と思いました。

尊王攘夷って、言い始めた水戸の斉昭は天皇がいる方向に手を合わせて本当に敬っていたのかもしれないけど、庶民のレベルでは、幕府が気に入らないからそれに代わるのが天皇だ!って感じで利用して、正当性を持たせようとしてるだけなのかもしれない!と思いました。

 

人を物と思う若い脳

渋沢たちが若かったから。"神託"から若さを感じるという話になって、脳科学者の中野信子さんが若い脳と成熟した脳の違いについて説明されてました。

「どこが違うかというと、周りいる人間を人間だと思えるかどうかっていうのが違うんですね。周りにいる人のことを若いうちは物だと思ってたりします。背景だと思ってたり。その周りにいる人たちを人間だと思えるようになるにはそこそこ年数がいる。

 

ーーそんなことあるのかな~?

と思いましたが、まぁ自分が若い頃を考えてみても、道行く人をどう、ぶつからずに避けて歩くことができるのか?とか考えて、物扱いしてたかもしれません。

あと、家で自分に色々言ってくる家族を、うるさくて自分を邪魔してくるうっとうしい存在に思えたりするのも、人扱いしてませんよね。

 

30歳くらいにならないと人間に見えてこないんですって!そうだったかなぁ?

 

中野さんは「この年の栄一には人が物に見えていたのかも?番付にするくらいだから。」ともおっしゃてました。

学芸員の方は情報共有、全体が豊かになるため。とおっしゃってましたけど、どう人を操作していい藍をつくってもらうか、と人を使って実験してたとも考えられます。

色んな見方があって面白いな。と思いました。

 

栄一に迫る大きな選択

文久3年。喜作と京に行った栄一は、道中の安全は平岡円四郎に助けを借りた。

平岡円四郎は徳川御三卿の一橋家の重役だった。

攘夷倒幕派の栄一と違い、平岡は開国派だったが、栄一を見どころある若者だと評価。

平岡はこの時主君の一橋慶喜について京都にいた。栄一たちが江戸の留守宅に来たら、家来の身分を与えて京都に来るようにと言い残していた。

京都に着いた栄一たちは実際家来にならず、諸国から来た志士たちと交流や物見遊山をしていた。

文久4年(1864)2月。高崎城を命がけで止めてくれた尾高長七郎が、殺人事件を起こして捕らえられて、その懐から栄一の手紙が出てきたと知らせがきた。

その手紙は、栄一が京都から幕政批判をして長七郎も上洛するよう誘う内容だった。

これのせいで長七郎が倒幕派の疑いをかけられていた。

翌朝栄一は平岡円四郎から呼び出しを受け、長七郎の件で江戸から人橋家に問い合わせが来ていたのだ。

栄一は正直に経緯を話すと、平岡は「考えの違いは脇に置いて、一橋家に仕官しないか?」と誘ってきた。
予想もしなかった誘いに栄一は戸惑う。

そして宿に帰り

  1. 倒幕か?
  2. 幕府を支える一橋家に身を寄せるか?

悩み出した。

 

1倒幕を選択すれば、農民に過ぎない身分なので命も危うい。そうなれば倒幕の望みも消えてしまう。

2一橋家の家臣になるを選べば長七郎を助けられるかもしれない。

渋沢栄一24歳。どちらを選ぶのか?

 

この選択、専門家の方々ならどっちを選ぶか?話し合いが始まりました。

 

一橋家はどんな状態だったのか?

まず、杉浦アナウンサーが開国派の平岡円四郎がなぜ倒幕派の栄一を誘ったのか?と、磯田さんに質問。

一橋家は、バーチャル一橋家。

家と言っても家ではない。江戸城の中にいる将軍家のお身内家族で、お堀の中に軍事集団がいたら、クーデターになってしまう。

家臣団は幕府からの出向。領地も全国にバラバラで持っていて、領域で持っているわけではない。

だからバーチャル。でもこの一橋家が京都へ駐留して孝明天皇を守って軍事・政治をやらなければならない。

幕末の京都政局は、400~500人洋式銃を駐留させておかないと発言力がない。島津家などかそれだけの数を持っている。

700~800に達するとかなり強い発言力。1000単位になればもう動乱が起こせる。

でも丸腰で入らないといけない状態の一橋家。

一から家臣団をつくらないと行けなくなっていたところに、やって来たのが渋沢。

 

高橋さんが考えた平岡が栄一を誘った理由

磯田さんの話を受けて高橋さんは「人材が払底していた。能力があれば、攘夷でも佐幕でもいい。思想は関係ない。変えたいっていう情熱。現在のシステムへの不満とか、それらに対して真剣でしかも能力があったら…。平岡ぐらいさばけた理解のある人だと、そういう違いっていうのは表面的ってことは分かってる。」と考えではなく、栄一の能力を見て誘ってきたのでは?と推測。

 

鹿島さんが考える平岡が栄一を誘った理由

高橋さんの意見を受けて、鹿島さんは「平岡円四郎は江戸にいた時から、だいたいスカウトに相当力を入れているんですよ。多分平岡円四郎ってのは我々の時代のあれだと、もう典型的なオルガナイザー(組織の結成や拡大を担う人間)。オルガナイザーはまず見込みのあるやつに全部話させる。色んな自分の考えてることを。でそれこっちの考えてることを全然反対とか考えない。どれだけ論理的に思考ができるかとか。情熱があるかとかで、その点でしか判断しないで思想はいくらでもひっくり返せる。オルガナイザーの自信ってのはすごいんです。」と平岡が栄一を誘った理由を推測されていました。

この平岡は早くに暗殺されたけど、もし生きていたら政局が変わっていただろうと推測されていました。

 

栄一が迫られた選択。

  1. 倒幕の志を貫き、仕官を断る
  2. 一橋家の家臣になる

 

中野さんの選択

まずは中野さんの選択は、2一橋家の家臣になるです。

命あっての物種。自分が生き残ってなければ倒幕のいくら高邁な理想を掲げていても絵に描いた餅になってしまう。と合理的に判断。

高橋さんの選択

次に高橋さんの選択も、2一橋家の家臣になるです。

自分達がやろうとしたことを最終的に成し遂げるには2。生き延びるしかない。

遠回りでもいつかやろうしたことにたどり着く。

鹿島さんの選択

次の鹿島さんの選択も、2一橋家の家臣になるです。

自分が1を選んで死ぬのは、こういう時代のテロリストは意外とたやすい。

しかし今回の場合は長七郎の命が懸かってると。そう簡単に選択できない。自分が捕まると長七郎を助けに行けなくなる。一橋家の家臣になれば裏に手を回して助けることができるのでは?と考え、2しか選択肢がない。

磯田さんの選択

最後に司会の磯田さんの選択も、2一橋家の家臣になるでした。

1を選ぶと生存が危うい。

平岡の誘いに乗れば仲間も助けられるかも。という理由でした。

 

実際の栄一の選択

実際の栄一の選択もやはり2一橋家の家臣になるでした。

召し抱えられるにあたり条件を出した栄一。慶喜と直接会って話がしたいというものだった。

平岡がなんとか手を回してくれて話してくれた。

 

ーーーもうこれは、選択のようで選択ではなかったですね。

そうするしか生き残る道は残っていなかったわけですから。倒幕への気持ちを捨てるのは容易ではなかったでしょうけど、仕方ありません。

 

慶喜との出会いで運命が変わる栄一

慶喜との拝謁が実現した栄一。

「幕府の命脈も既に絶滅します。幕府が潰れるのを取り繕われるようなら、一橋家もろとも潰れます。あえて好むことではござりませぬが、幕府を潰すのは徳川家を中興する基であります。」と伝えた。

慶喜はただ聞いていただけだった。

慶喜との出会いで運命が大きく動き出す栄一。

一橋家仕官後の栄一は、武力強化のため農民を集めた歩兵の編成を目指し、西国の一橋領を巡り勧誘。志願者は500人きた。

次に一橋家財政強化。

勘定組頭となった栄一は藩札を出して播磨の木綿を買い上げ、特産品として販売。一橋家の財政を改善していく。

栄一の行動には、大きな狙いがあったというのが、渋沢栄一資料館の副館長である桑原さん。

「明治政府のスローガンである富国強兵の一橋家版。慶喜の政界での力を高める意図を持って自分は一橋家の財政を改革していった。」とおっしゃっていました。

 

ところが14代徳川家茂が死去。慶喜を15代将軍にという話が出た。

幕府は倒れると見ていた栄一は、慶喜の徳川家相続はやめてもらいたいと考えていた。

が、慶喜は徳川家を相続して徳川慶喜となった。

栄一は失望し、また元の浪人になろうか、いっそ死のうかと思いつめた。

 

栄一自身は日本を背負う組織ではない。その幕府のトップを慶喜が継いだことで、日本を変えていきたいと思って一橋家で働いてきた栄一にとって、先が見通せなくなった。

と落胆した。

 

自分を納得させる論理が見つかるまで苦しい

栄一のこの状況を、鹿島さんは、しがらみから抜け出すために入った選択でまた新しいしがらみがうまれた。

一橋家にいて徳川が倒れたあとに支えようと思って体制派になったつもりがなかったのに、体制派になってしまった。

こういう時、自分を納得させる論理が見つかるまでどうしようもなく苦しい。

と栄一の当時の気持ちを推測。

人から生きる意味を奪えば簡単に死を選ぶ

中野さんは、大きな物語に対しての考えが世代によって違う。我々は大きな物語はあてにならないと知っている。もしそういうものを信じて戦ってる人がいたとしたら、それを失ったらすごくショックだろう。

人間とは、明日食べる米があったら生きられるという種じゃない。

3年後、10年後生きている意味100年後自分が生きていた意味がないと、簡単に死を選んでしまう。

生きる意味を奪えば、その人の命を奪ってしまう。

と、この時の生きる意味を見失ってしまった栄一の気持ちを推測していました。

栄一が見ていたのは、自分の意識で投影していた慶喜

高橋さんは視点を変えて、これはそもそも慶喜の選択でもあった。と言います。

慶喜は幕府の行く末をどうソフトランディングしていくか?高度な選択をした。それは渋沢栄一にはまだ理解できなかった。とおっしゃっていました。

『論語』を読んで、孔子は弟子にはっきりモノを言ってくれず想像するしかない。

栄一にとって慶喜は、リアル慶喜というより、栄一が自分の意識で投影していた慶喜。

将軍にならないバーチャル慶喜。

そういう慶喜に仕えていたのに、自分の思想体系は壊れてしまった。

所詮栄一は平岡が格外に取り立てた身

磯田さんは、この頃の栄一は一橋家の勘定の仕事が面白くなくなっていっていたのでは?と推測。

0から仕組みを作っていた頃は感謝もされて面白かったが、それも平岡が格外に取り立ててくれたからだと思い知ったのでは?

その取り立ててくれた平岡は暗殺されていなくなっていたし、勘定方は武士の社会では権限はあってもバカにされ卑職とされていた。

結局算盤能力を使いたかっただけと分かって、自意識強い栄一は耐えられなかったのでは?とおっしゃっていました。

 

ーーーこれはその通りかもしれないなと思いました。

地道に仕事を続けてきて、武士の社会で力を試せてそれがきっと倒幕も果たして生きていけるだろうと思っていた矢先に思いもよらず幕府に入って、色々馬鹿にされたのかもしれません。

平岡がいてくれたら色々と間を取り持ってくれていたのでしょうが、暗殺されていない。

 

あと、バーチャル慶喜って話も面白かったです。

簡単に会える人じゃないから、きっとこういう人のはずだ!っていう理想の慶喜が栄一の中で出来上がっていったんでしょう。
でも幼い頃の恋とかも、そういう妄想の中で相手のイメージ膨らませるってことありますよね。

好きな人が急にカッコいい思ってたのに、急にカッコ悪い態度を取って信じられなくなり、気持ちが冷めるとか。

次元が違い過ぎて例えにならないかもしれないけど、それの次元大きい版と考えていいのかな?と思いました。

 

パリに行くことになった栄一

1867年パリ万博に将軍名代として幕府は慶喜の弟の昭武を派遣することになり、その後もパリで留学させることに。

慶喜は昭武の世話係として庶務と会計をやったもらうのに、栄一を指名。慶喜から推薦されたと聞いた栄一は即答した。

慶応3年(1867)1月。横浜を出港。

パリに着いて、昭武の世話と会計の仕事で忙しくしながらもヨーロッパの主観に馴染んでいく栄一。

一方。日本ではその年の10月に慶喜が大政奉還をし、その知らせがパリに届いたのは翌年1月だった。

慶喜は大坂城を出て、旧幕府軍は京都の鳥羽伏見まで進軍。旧幕府軍は惨敗し慶喜は謹慎した。

水戸徳川家に生まれた昭武を日本に返さずそのままフランス留学を続けさせようとしたが、水戸藩主の慶篤が4月に死去。弟の昭武に後を継ぐ事が決まり帰国命令が出た。

栄一がフランスを発った4日後。年号が明治となった。

 

日本に帰ってきた栄一は、謹慎している慶喜に会いに駿府に行った。

貧相な部屋で変わり果てた慶喜と対面した栄一は泣いた。

慶喜はフランスでの昭武の様子を聞いて、労をねぎらってくれた。

 

明治以降、経済界で華々しい業績を積み上げていくようになっても、故郷の血洗島に度々帰郷。故郷の人たちも部屋を用意して温かく迎えた。

 

やはり慶喜がスゴイ

渋沢栄一の人生を見てきて、鹿島さんと中野さんが栄一の幕臣から明治の近代人になっていく様の柔軟性に着目していましたが、高橋さんは、栄一をパリに行かせた慶喜がスゴイと言っていました。

 

昭武のお目付という名目ではあったが、渋沢栄一にはパリ、フランスを見せておこう。

名君は何かカッコいいことを言うんじゃなくて、人事。適材適所。

とおっしゃっていました。

 

ーーーいや~。

一度は死のうとした栄一に、パリに行く話を持って来てくれた慶喜。

何度も幕府は倒れると話していた栄一を、自分の選択で幕臣にしてしまって、慶喜は栄一が自分から離れていくのは寂しいけど、幕府からは解放してあげたかったのかも。

弟の昭武の世話係にしておけば、自分とのつながりは切れないし、名目として幕府の仕事だし、ちょうどいい都合のいい仕事を見つけ出してあげたのかもしれない。

こう見ると、慶喜って限られた権限の中で自分を慕う人を精一杯救ってあげてたんですね!

逃げてばっかりいる人だと思ってましたけど、自分の選択に巻き込まれないようギリギリのラインで栄一を解放してあげていた。

周りの武士には分からないように、本人にも分からないように絶妙な位置で。

スゴイ人なんだ、人の上に立つ器量のある人なんだ。

みんながこぞって家定の次の将軍に推したのには、こういう頭の良さをみんな見抜いていたからなんだ。

今まで優柔不断な情けない最後の将軍だと思ってましたけど、全然見方が変わりました。

これから『青天を衝け』で、こういう賢い慶喜を描いていってくれるのかと思うと、この先がとても楽しみです。

本当に楽しみです。

これを見てもっと『青天を衝け』に期待が高まりました。

 

今回の『英雄たちの選択』見て本当によかったです!

 

以上、『英雄たちの選択「渋沢栄一 七転八倒の青春」』を見た感想と内容でした。

 

Eテレの『100分de名著』2021年4月は渋沢栄一の『論語と算盤』を取り上げています。

それを見た感想です。↓

 

www.lovetv.site