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100分de名著 渋沢栄一『論語と算盤』 第1回「高い志が行動原理を培う」 を見た感想と内容

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毎週月曜夜10時25分からEテレで放送中の『100分de名著』。

『100分de名著』は、アナウンサーの安部みちこさんとタレントの伊集院光さんが司会の、1か月4回の放送で1作品名著を紹介。専門家の方に解説してもらう番組です。

www.nhk.or.jp

2021年4月に取り上げられた作品は、渋沢栄一『論語と算盤』。

解説を担当された先生は、中国古典研究家で作家の守屋淳さん。漢文調で書かれた『論語と算盤』を現代語訳をされています。渋沢栄一の今日につながる進歩的な思想を中国古典研究者の視点から読み解いてらっしゃいました。

朗読は俳優の小野武彦さんです。

 第1回「高い志が行動原理を培う」を見ましたので、その内容と感想を書いていきたいと思います。

 

 

『論語と算盤』基本情報

渋沢栄一<1840(天保11)~1931(昭和6)>約480の企業の創立・発展に貢献した実業家。

設立に関わった企業名…第一国立銀行(現:みずほ銀行)、日本鉄道(現:JR)、中外商業新聞社(現:日経新聞)、帝国ホテル、聖路加病院、札幌麦酒(現:サッポロビール)など。

 

  • 刊行…1916年(大正5年)⇒渋沢76歳の時
  • 内容渋沢栄一の講演内容を編集者・梶山彬が再構成した「講演抄

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基本情報を聞いてまず、講演内容を別の人が編集したものだと知ってへー!と思いました。

学校の歴史の授業で渋沢栄一の名前を習った時に『論語と算盤』も一緒に習いましたが、この人が書いたものだと思っていました。

考えてみれば、こんなに会社を作って忙しくしていた人がゆっくり本なんて書いてられないだろうな…と、学生時代をだいぶ過ぎた今になって納得しました。

 

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解説を担当された守屋さんによると、『論語と算盤』という言葉自体も渋沢が作ったものではなく、渋沢栄一の友人・三島毅(みしま き <号:中洲/1830-1919>…幕末・明治期の漢学者)が作った言葉だそうです。

渋沢69歳、数えで70歳の時に古希のお祝いで絵をもらい、渋沢の家でその絵を見た三島が言ったことがきっかけ。

 

ー三島の言葉ー 

わたし(三島毅)が『論語』を読む方で、おまえ(渋沢)はソロバンを探究している方だ。

 

そのソロバンを持つ人が

『論語』のような本を立派に語る以上は、自分もまた『論語』だけで済ませず、

ソロバンの方も大いにきわめなければならない。

 

渋沢はこの言葉を聞いて「自分の人生そのものだ。」と感じたそう。

渋沢は30過ぎで大蔵省を辞めて実業界に飛び込む。その時に官僚の同僚から「お前は見下げ果てたやつだ。金に目がくらんで商売みたいな卑しいことをやるのか。」と言われてしまう。

その時「わたしは『論語』で一生を貫いてみせる。」という言い方をしたとのこと。

 

ーーー

商売を卑しいと言われてしまうなんて、ショックですね!

官僚たちは商売人を見下しているってことですよねぇ…。お金がないと政治も出来ないのに!!

 

渋沢栄一の前半生

渋沢栄一は、1840年(天保11)現在の埼玉県深谷市の、養蚕や藍玉を手掛ける豪農の家に生まれ、跡取りとして大切に育てられた。

当時の豪農の子供たちは漢文を習うことが珍しくなく、6歳の頃から父から漢籍の手習いを受けていた。

10代半ばで志を立てる事件が起こる。

渋沢の父が代官所に呼び出され、藩への御用金を出すよう命じられた。

父の代理として代官所に行った栄一は、500両出すよう言われ「お申し付けは分かりましたが、父には「ご用を聞いてこい」と言われただけなので即答はできません。」と答える。

代官は栄一を口汚く罵り、バカにした。

悔しい思いをした渋沢は、こういう扱いをされた原因は徳川幕府にあると考えた。

 

『雨世譚(アマヨガタリ)』渋沢栄一の前半生を語る部分。番組では俳優の小野武彦さんが朗読を担当されてました。

察するにかの代官は、言葉づかいといい動作といい決して知識のある人とは思われぬ。

このような人物が人を軽蔑できるのは、そもそも官職を世襲するという徳川政治からすべてはこうなったわけだ。

こうした政治の弊害がもはやどうしようもないところまで行きついた、と思ったのだ。

さらにこれについて深く考えてみると、自分もこの先いまのように百姓をしていると、いわば虫けら同様の知恵も分別もない武士からまず軽蔑され続けてしまう。

さてさて残念千万なことである。

 

豪農とはいえ農民。

一方的に武士から借金を押し付けられバカにされても黙って受け入れるしかない。

そういう境遇に甘んじたくない。

渋沢は「武士になる」という志を立てた。

 

ーーー

おお!!と思いました。

江戸時代は商売人が功績を上げて武士の身分を買うとか、名字帯刀とか聞いたことがあります!

渋沢もそれをしようと志したんですね!!

『青天を衝け』ではそんなことは言ってませんでしたけど、世の中を変える。とは言ってましたね!!

まずは蔑まれないために、武士にならないと話が始まらなかった。ってことでしょうか?

ここまでの話を聞いて、ワクワクしてきました!

ーーー

話は続きがあります。

 

わたしは十七歳のとき、武士になりたいという志を立てた。

しかしその目的は、武士になってみたいという単純なものではなかった。

武士になると同時に、当時の政治体制をどうにか動かすことはできないだろうか_____

今日の言葉をかりていえば、政治家として国政に参加してみたいという大望を抱いたのであった。

 

ーーー

恐れ入りました!!って感じです。

武士になってみたいって単純な思いじゃないんだ。

すみません。と思いました。

ーーーー

 

「武士になる」という志の意味について

渋沢が抱いた「武士になる」という志の意味について、解説の守屋さんは「政治家になって強く繫栄した日本をつくりたいという考え方は、渋沢栄一が幼少の頃から学んでいた『論語』をはじめとする「四書五経」といわれる教えに根本を成すもの。」だと説明されていました。

 

ーーー四書五経とは?

儒教の基本書である4つの書と5つの経典の総称。

  • 四書…『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』
  • 五経…『詩経』、『書経』、『易経』、『春秋』、『礼記』

 

 ーーこれらの根底にある教えとは?

  • 修己安人…己を修めて人を安んじる
  • 修己治人…己を修めて人を治める

自分の身を磨き 良い統治者となり 良い国をつくろう

 

『論語と算盤』では、

を立てることは、人生という建築の骨組みであり、小さな志はその飾りなのだ。

 

だから最初にそれらの組み合わせをしっかり考えてかからないと、後日、せっかくの建築が途中で壊れるようなことにもなりかねない。

 

解説の守屋さんは渋沢のこの考えについて、

渋沢が言う大きな志とは「政治家になって強い国繁栄した国をつくりたい」だったが、

ある時期から「自分は政治家に向いてない」と気が付いた。

民間の立場から、強い国をつくりたいと考え、社会事業や実業に携わっていった。

と、考えに至る経緯を説明し、

そしてこの意味では「志って本当に大きなものが芯に立っていれば、コロコロ変えてもいい。」と、政治家から実業家への転身の説明をされていました。

 

武士を志した後の人生

わたしは、最初は天皇を奉じて徳川幕府を討つ尊王討幕や外国を打ち払い鎖国する攘夷鎖港を論じて、東西を走り回っていた。

 

渋沢が志を立てた時期は、日本の大きな転換期と重なる。

  • 嘉永6年(1853)…ペリー艦隊来航。尊王攘夷運動に渋沢ものめり込んでいく。
  • 元治元年(1864)…徳川御三卿の一つ、一橋家から出仕しないか?との誘いが来る。慶喜のような切れ者なら幕府をうまく形骸化し、国を繫栄させる礎を築いてくれるに違いない。と考え出仕。
  • 慶応2年(1866)に慶喜が将軍になり、幕府を立て直すしかなくなる。優秀な慶喜と言えどもそれは出来ないと考えた栄一はふてくされた日々を送る。

そんな時にある命令が下る。

  • 慶応3年(1867)…徳川昭武に従い、パリ万博使節団に随行。パリ万博だけでなく、1年半にわたってヨーロッパを巡った渋沢は、資本主義と近代化の威力を体感。
  • 明治元年(1868)…明治政府から帰国命令下る。静岡で銀行や商社の役割を果たす「商法会所」をつくり、この組織をひな型にして全国に近代的な会社組織を広げようとする。
  • 明治2年(1869)…大隈重信から説得され大蔵省に勤務。官僚として近代日本の礎となる数々の政策を打ち出すも、武家出身の官僚たちに民間で実業を育てる重要性を気づく者がおらず不満を抱く。
  • 明治6年(1873)…「『論語』で一生を貫いてみせる」と大蔵省を辞めて実業界へ飛びこむと決意。

 

尊王攘夷の志士から実業家へーー!

この間の変化にさいして、もしかしたら自分には知恵や能力の足りないこともあったかもしれない。

しかし勉強の点については、自己の力一杯にやったつもりで不足はなかったと思う。

それなのに、社会の移り変わりや政治体制の刷新に直面すると、それをどうすることもできず、わたしは何とも逆境の人となってしまったのである。

 

ーーー

ここまでの話を聞いて伊集院光さんは「スゴイなと思うのは、苦労して上ってきたことを捨てるのがすげえって思って。そこをスパッといける辺りは多分この人のすごいとこ。」と評していました。

確かにスゴイですよね。

いくら自分には向かないと思っても、それまでやって来た愛着やら執着やらがあると思います。

そこで出会った人との人脈とか信用とか何やかやで得したことだってあったはずです。

 

ここで安部アナウンサーが『論語』にある、志についての孔子の言葉を紹介していました。

 

吾、十有五にして学に志す

三十にして立つ

四十にして惑わず

五十にして天命を知る

六十にして耳順う

七十にして心の欲する所に従いて矩をこえず

 

この言葉「裏から読むと面白い。」という守屋さん。

吾、十有五にして学に志す14歳まで学問に志さなかった

三十にして立つ29歳までは自立できなかった

四十にして惑わず39歳までは迷いっぱなし

五十にして天命を知る49歳までは天命を知らなかった

六十にして耳順う59歳までは他人から忠告されると馬鹿野郎と思っていた

七十にして心の欲する所に従いて矩をこえず⇒69歳までは自分の欲望に従い、ハチャメチャにやっていた

 

と解釈。

「一気に孔子が身近なおじさんっぽくなっちゃうんですけど。」と言う守屋さん。

注目すべきは、志を立てたのが15歳。

渋沢栄一は30過ぎて実業界に行き、この渋沢は「」は、孔子の50歳の「天命」に近い。と言います。

守屋さんは例えとして、伊集院さんが10代の時に自分の町を見下ろす丘に立ち、若くて何でもできる。エンターテイメントの世界で革命を起こしてやる。と可能性ベースで方向性を考えるのが「」。

30年ぐらい経ち、色々経験して疲れてくる。出来ることの中で社会に貢献しようと考える。

自分の限界を知った上で追い求めていくのが「天命」。

 

この例え話を聞いた伊集院さんはよく分かると言い「入ったばかりの頃は、明石家さんまにもなれるしダウンタウンにもなれる。50ぐらいまではあれも出来るんじゃないか。これも出来るんじゃないかっていう可能性を試そうみたいなことが多かったですけど、自分の師匠から言われるのは<好きなことをどんどんやってきて、最終的にそれに社会性を持たせろ>っていう話をされるんですね。その感じにすごく良く似てます。」と感想をおっしゃってました。

 

ーーー

伊集院さんの実際の話を聞いて、なるほどー!と思いました。

年を取ってくるとそんなになんでもできるわけじゃない。ということが自分にできる限界が分かってくるんですよね。

社会性を持たせろってどこまで出来るんだろう…。

わたしはこうやってテレビを見た感想を書きまくって知らない方々と交流をさせてもらってますが、社会性は出て来てる?

まだ、ただのテレビが好きだというだけの話になっていると思います。

これを続けていけば社会性が出てくるのかな?

いや~どうだろう。

ーーー

 

紹介・アポなしで面会していた栄一

ここで、繁栄した国をつくるという志を持っていた栄一のエピソードが紹介されていました。

栄一は、晩年まで紹介なしで朝自宅に来た人たちにずーっと会っていたとのこと。

まだまだ日本は弱く小さい国だから、人材もアイデアもまだまだ必要。人とアイデアを見出そうと頑張っていた。

このことを聞いて伊集院さんが「庶民の声を聞いて生かすということにおいて、もしかしたら政治家のあるべき姿というのを実業家でありながらやってるわけで。全く違う仕事になっちゃったねっていうことじゃ全然ない。」と政治家から実業家への転身へ語っていました。

 

そうですよね。

かえって政治家じゃない方が話を聞きやすい立場でいられるのかもしれないなと思いました。

 

志のために自ら箸を取れ!

渋沢曰く、志を実現するのに大切なのはやる気と気概。

いくら優秀でも自らが動き出さなければ何も成し遂げられない。

 

青年たちのなかには、大いに仕事がしたいのに、頼れる人がいないとか、応援してくれる人がいない、見てくれる人がいないと嘆く者がいる。

もともと今の世の中には人が多い。

官庁にも、会社にも、銀行にも、人がたくさん余ってるくらいだ。

しかし、上の人間が「これなら大丈夫」と安心して任せられる人物は少ない。

だからどこにおいても、優良な人物ならば、いくらでも欲しがっている。

こうして人材登用のお膳立てをして、われわれは待っているのだが、この用意を食べるかどうかは、箸を取る人の気持ち次第でしかない。

ご馳走の献立をつくったうえに、それを口に運んでやるほど先輩や世の中はヒマではないのだ。

若者よ自ら箸を取れ!

 

この渋沢の言葉を聞いて、安部アナウンサーは「渋沢は誰とでも会って話を聞いていたけれど、甘いだけじゃない感じがありましたね。」と感想をおっしゃってました。

私も思いました。

なんか不満ばかり言って、何もしてないのはあんただよ。と渋沢が呆れてる様子が見えるようでした。

自分で自分のチャンス、掴まないと気づいてもらえないよって言ってるようでした。

頑張って気概を見せていかなければ気づいてもらえない。

厳しいけどそれが現実です。

 

解説の守屋さんは「学校とか会社とか舞台は用意した。それを使うのはやっぱり君たちのやる気が必要なんだよね。こういう言い方をしてるわけです。」とおっしゃってました。

ーーー

舞台。と聞いて吉本興業の一連の騒ぎを思い出しました。

吉本さんは舞台は各地に用意をしている。所属をさせてチャンスを与えている。それを生かすも殺すもやる気次第。

使ってくれないとか応援してくれないとか嘆く前に、舞台に立て。

わたしは芸人さんでもないので分かりませんが、やるだけのことはやらないと、文句も言えないよな~と思います。

自分はやるだけのことはやってるつもりでも、足りないと評価されるなら、それが自分の限界だと知れるはず。

それでもやり続けてやる気を見せるか、いなくなるか。自分次第ですよね。

めちゃくちゃ怖い。

 

規模は小さすぎる話ですが、私もこのほとんど人に気づかれることのないブログを、2年以上続けてます。

訪問者の少ないブログ。これが限界で答えだと思います。

でも。2年を過ぎたあたりから訪問者が微かに増えてきました。

まだ限界は来てないのかもしれない。

維持するにはお金もかかるけど、まだ続けようと思ってます。

 

話がズレました。

 

ーーーー

番組は、渋沢が逆境にある時にどうしたかを見ていました。

 

逆境に立たされた場合、どんな人もまず、

自己の本分(自分に与えられた社会の中での役割分担)」だと覚悟を決めるのが唯一の策ではないか。

(略)

「どんなに頭を悩ませても結局、天命(神から与えられた運命)であるから仕方がない」とあきらめがつくならば、どんなに対処しがたい逆境にいても、心は平静を保つことができるに違いない。

 

この中の「」という言葉。

守屋さんは「この平社員の分際で」とかいい意味で使わないことが多いが、もともとの意味は「役割分担」という意味。と説明。

社会の中で役割分担がある。

逆境、時代が変化する中ではスゴイ苦しい状況に追い込まれる人も逆に、非常に活躍できる状況に行く人もいる。

それは、天から与えられた役割分担だと思いなさい。ということ。

だとおっしゃっていました。

 

伊集院さんはこの話を聞いて、今パラアスリートの方と接する機会が多いそう。

「彼らの絶望期に会っていないから何とも言えないけれども、抜け出した彼らの持ってるモチベーションみたいなのはまさにこの感じで。突然視力を失ってしまうっていう逆境を簡単には語ることはできないけれど、今そのどん底にいる人たちが元気出てくれるなら。みたいなことを綺麗事じゃなくいう時にこういうことを感じますね。」とおっしゃっていました。

 

天命だとあきらめるって、簡単なことじゃないですよね。

早くあきらめると自由になれると分かっていても、頭を悩ませてしまう。

こころを平静に保つことができると分かっていても、抗ってしまう。

切り替えが早い人を羨ましく思うこともあるけど、ショックだった自分の心を無視して見ないようにしているように思えてしまいます。

私は思いっきり気が済むまで悩み切って、悩み切って最後はもう飽きてきて、やっとあきらめるタイプです。

結局あきらめるなら、少しでも早い方がいいんでしょうが、時間は必要だと思います。

渋沢も官僚になって辞めるまで何年かかかってるから、なかなか諦めきれなかったんじゃないかな?

講演するくらいの年齢になって振り返ると、心平静に保つには、諦めて天命だと思うことだと言えた。だけじゃないのかな?

 

と思いました。

 

逆境を乗り越えてきた渋沢が大切にしたこと

91歳で亡くなるまで渋沢が多忙な日々を送り続けられたのは、仕事に「趣味」楽しみを見出していたから。

 

たとえどんなことでも、自分のやるべきことに深い「趣味」を持って努力すれば、すべてが自分の思う通りにならなくても、心から湧き出る理想や思いの一部分くらいは叶うものだと思う。

孔子の言葉にも、

「理解することは、愛好することの深さに及ばない。愛好することは、楽しむ境地の深さに及ばない」とある。

 

志を実現するためのヒントに満ちた『論語と算盤』。

高い志であるがゆえに、達成できなかったときに敗北者になるのか?

渋沢の答えは、

本当に人を評論しようと思うならば、その富や地位、名誉のもとになった「成功か失敗か」という結果を二の次にし、よくその人が社会のために尽くそうとした精神と効果とによって、行われるべきものなのだ。

成功や失敗といった価値観から抜け出して、超然と自立し、正しい行為の道筋にそって行動し続けるなら、成功や失敗などとはレベルの違う、価値ある生涯を送ることができる。

成功など、人として為すべきことを果たした結果生まれるカスにすぎない以上、気にする必要などまったくないのである。

 

この部分を朗読した俳優の小野武彦さんは「なんか勇気づけられますね。」とおっしゃっていました。

伊集院さんも「うなずけますね。」とおっしゃっていました。

 

守屋さんは「どうしても高い志は達成しにくい。だけど達成しようと努力する中に価値がある。と渋沢は言ってるわけですね。現代って短期的な成果を会社とかにいると求められちゃうと思うんですけれども、もうちょっと大きい視野から自分を自由にするためにも、高い志を持っていた方がいい。高い志は自分を自由にしてくれる。」と説明。

ーーー自由にしてくれるとはどういうことか??

例えば、伊集院さんがエンタメ業界を改革したいと高い志を持ったとする。

テレビに出ることもラジオに出ることもYouTubeに出ることも手段になる。これがテレビに出たい。となると、そこから出れなくなる。自由でなくなる。

「高い志はその意味で、自分の選択を自由にしてくれる。こういう面がある。」とおっしゃっていました。

 

これは分りやすかったですね!!

目標が具体的で1つだと、そこ止まりで終わる。

叶わないとそこで終わってしまう。

他のことで実現できても、目標と違うから志を遂げられなかったと嘆くかもしれない。

それじゃあ自由じゃないですよね。

高い志の中に、テレビもラジオも入っていれば、たくさんの選択肢の中の一つで達成できたんだから、実現できたと言えます。

自由です。

 

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今回『論語と算盤』の初回でしたけど、面白くて見応えのある回でした!!

本当に分かりやすくて今でもあてはまることが多くて見てて楽しかったです。

 

『青天を衝け』にも出ていたエピソードもあったし、渋沢栄一という人にもっともっと興味が出てきました。

 

次回は、第2回「信用」で経済を回せ です。

渋沢栄一62歳の時に海外で「日本人は他人に対しての約束はなはだ守らない」と言われてると耳にしたとのこと。

信用を得るための心構えを学ぶ。だそうです。

 

いよいよビジネスに必要な話になっていくようです。

 

以上、100分de名著 渋沢栄一『論語と算盤』第1回「高い志が行動原理を培う」を見た感想と内容でした。

 

 

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大河ドラマ『青天を衝け』で、栄一がお代官に対して怒った回の感想です。↓

 

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『100分de名著』の他の作品が取り上げられた時の内容と感想です。↓

 

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