BSプレミアムで放送中の『にっぽん縦断こころ旅』2020秋の旅!
『にっぽん縦断こころ旅』は、俳優の火野正平さんが視聴者の方のこころの風景を自転車でめぐる旅番組です。
秋の旅・最終週12月21日~12月25日は高知県です。
高知県1日目四万十市への旅の感想はこちら。↓
973日目、高知県2日目は津野町への旅
12月23日放送分・高知県2日目は、四万十川の上流にある北川川の川辺でオープニングでした。
お手紙の内容
今回のお手紙は、愛知県刈谷市の63歳女性から。
こころの風景は、早瀬の一本橋です。
お手紙の方のふるさとは、四万十川源流点のある高知県津野町の芳生野(よしうの)です。四国カルストを挟んで、愛媛県との県境にある地域です。
山間の僻地なので、自転車での旅は厳しいと思うというお手紙の方。無理かもと思いつつ、88歳のお母さんが喜ぶだろうと思ってお手紙を書いたとのこと。
8年前の春にお父さんが亡くなってから、お母さん一人で実家を守っていらっしゃいます。
お母さんに会いに毎年1~2回帰郷していたそうですが、昨年11月19日に芳生野地区諏訪神社の津野山古式神楽を見に帰って以来、コロナ禍のためにお母さんと会えていない状況だそうです。
先日電話で「火野正平さんがもうすぐ高知に来られるけど、芳生野にも来てくれんかねえ。」とおっしゃっていたとのこと。
お母さんの気持ちを汲み、実家近くの面白いところを紹介したいというお手紙の方。
そこは「早瀬の一本橋」です。
役場西庁舎より天狗高原方面へ車で5分行ったところで、看板も出ています。
この橋は、四万十川支流に架かる橋で、沈下橋の原型ともいわれていて、丸太を割った板を三本つないで架けているもの。
初めて渡ったのは、小学一年生の頃。おばあさんと手をつないで、こわごわ渡ったとのこと。
そのうち、家から橋のたもとまでは自転車で乗り付け、向こうの商店までは徒歩で往復し、買い物の時利用。近道だったそうです。
絶対に川に落ちてはならぬという緊張感と、スリル感は忘れられない。
昔は台風で橋が流されると、流出しないようワイヤーで繋がっていたので、水量が引いたら、お父さんや近所の男の人たちが引き上げて戻す作業をしていたそうです。
大変な作業を繰り返しながら今も存在するこの早瀬の一本橋の風景は、ずっと残して欲しい大好きな風景。
この近辺の吉村虎太郎邸では、予約すれば食事も可能。どうぞおいしい空気とお食事、人々の温かさに会いに津野町芳生野地区に行ってくださいませ。
…というお手紙でした。
71がんばります
津野町役場西庁舎から、早瀬の一本橋に向けて出発しました。
まずは橋を渡ると、右側にお手紙に同封されていた"四万十源流点の村"と書かれた大きな看板がかかっていました。
正平さんたちは逆の左の方向へ曲がって行きました。
そしてまた橋を渡り、山へ。
「車で5分だからな。自転車だと5時間かな?」と不安を口にする正平さん。
左側に津野町の大きな案内図がかかっていて、現在地からすぐの場所に「早瀬の一本橋」があるように地図上では位置していました。
「見えちゃった。」と言う正平さん。
地図に早瀬の一本橋の写真が載っていて、どんな橋なのか分かってしまいました。
確かに丸太をつないだ橋でした。
「このあとが今回のルートで一番きつい坂です。」と予告するスタッフさん。
地図のある場所から見えているなだらかな上り坂のことです。
「88のおばあちゃんに喜んでもらうために、71頑張ります。」と言って、上り坂に挑みました。
黙々と坂道を上る正平さんたち。
上の方のカーブを曲がると、道が平になってきました。後ろから「もう過ぎました。」の声が。
いつの間にか難関の坂を登りきっていたのです・・。
「とてもいいお知らせ。」と言い、ホッとする正平さんでした。
結構長くてしんどそうな坂を難なく通り抜けていました。スゴイ!!
そして右折。橋を渡って川沿いを左折すると、また上り坂になりました。
正平さんは息を切らしながら「でもな、人が住んでる。住んでるよな。ちゃんと。」とつぶやいて上っていました。
坂道自体はそんなに急な感じでないですが、ここまでずっと走ってきて、さらに上るのはきついでしょうね…。
しんどそうに息を切らして走っていました。
イノシシを見る
住宅の間の道を走っていると、後ろか「いますよ。」と言う声が。
「イノシシいた?」と振り返って来た道を戻る正平さん。
道の下の方に置かれてい檻のなかに、数頭の小さなイノシシが入っていました。
イノシシは「ヴー」と鼻を鳴らします。正平さんはチャリオから降りて、「はいはい。」と言ってイノシシに近づきました。
座り込んで、手を近づけると鼻とつけてくれました。
「かわいい!ウリ坊よりもうちょっと大きい。」と言っていました。
すると、おばあさんが来られたので、正平さんが「いつかは食べる?」と質問。
イノシシは食べるそうです。
しかし今年何頭が逃げたらしいです。
でもイノシシが逃げるのを見つけたおばあさんが「行ったらいかん。」と声をかけると、ちゃんと振り向いて帰ってきたとのこと。今いるのは帰ってきたイノシシたち?
「犬やん!」と正平さんがツッコむと「結構懐いてる。」と教えてくれました。
正平さんはイノシシの檻に戻って「おい!お前ら。食われちゃうんだってよ。分かってる?」と声をかけていました。
懐いてても食べちゃうんですね。
そりゃあそうか。食べないで山にたくさん繁殖して問題にもなってると聞くし。
命をいただくという大事な話を聞かせてもらいました。
…とここまでが『朝版』です。
諏訪神社の前で休憩
『とうちゃこ版』では、お手紙の書かれていた諏訪神社の前を通過するところを放送していました。
木の看板で「諏訪神社大祭11月19日」と書かれてあり、「これ去年かな?」とスタッフさんが言っていました。
お手紙の方が神楽を見た日付です。
去年のものが残っていたのでしょうか?
「空気がいいな。」と言いながら空を見上げると、 山が見えました。
「あれ向こうに見えるの、カルストたちだよね。」とこれもお手紙に書かれていた四国カルストです。
山の上の方が切ったようになだらかでした。色も黒く見えました。
近づいてきました!!
吉村虎太郎邸であたたかな食事
道を進んでいると、右側にお手紙に書かれていた吉村虎太郎邸がありました。
龍馬の先を駆けた男と大きな看板が掲げられていました。
予約なしで来たらしく、アポなし訪問です。
「ごめんください!」と屋敷にの戸を開けて声をかけた正平さん。
中から「あー!」と言う女性の声が聞こえて「ご飯食べてるとこ撮影してもいいですか?」と聞くと「いいですよ。どうぞお上がりください。」と即答していただけました。
「こっちに来ないかなって思ってずっとテレビ見て思ってはいて…。」とおっしゃるお店の方。
「来ちゃった。」と言って、ホッとする正平さんでした。
メニューはうどんとそばのみ。
正平さんは歯が痛いので、うどんを柔らかくクタクタに煮て欲しいと注文。
お店には写真と絵が飾られていて、待っている間見学させてもらいました。
戻ってきたら、こたつにうどんが置かれていました。
「おコタでうどんが食えるですよ!嬉しい!」と喜ぶ正平さん。
先にお出汁を飲んで「おいしい!あったかい!」と本当にうれしそうでした。
注文通り柔らかく似てあったようで、本当に美味しそうでした!!!
「上品やな、しかし。うどんもお漬けもんも。」とお店の雰囲気を気に入った様子の正平さん。
リラックスしているのがテレビ越しに伝わってきました。
家の中に招かれたみたいなホッとできる空間でした。
あ、吉村虎太郎さんの家なんですよね、幕末の志士の。
いいところでした!!
食後、先を進むと吉村虎太郎さんが脱藩したという道の立て札が立っていました。
家の近くの山から脱藩していったんですね!!
こころの風景
そこから下り坂を下りて、大きな道路に出ると正面に「早瀬の一本橋」と書かれた木の看板が立っていました。
看板のところを下って行くと、川のところに架かっていました!早瀬の一本橋!!
とうちゃこです。
お手紙通り、ワイヤーで繋がれていました。
正平さんはチャリオから降りて、歩いて早瀬の一本橋を渡りました。
確かに、これは自転車から降りて渡らないと渡れない橋です。
正平さんは橋の途中に座り、お手紙を読みました。
お手紙の内容を聞きながら橋を見ていると、幼い女の子がおばあちゃんの手にひかれて歩く姿が想像出来ました。
お手紙を読み終わった正平さんは「こんなかわいい橋見っけた。ご飯も食べてきたよ。人々優しかったわ。温かかった。絶対に言えることは、普通に役者で仕事してたら来ないよな。またこういうところへ連れて来てくれた!だからオモロイねんな、この番組。もうちょうど山にお日様が入る最後の光です。よし!高知県まだ行くぞ!キレイな川や。」と言って番組を締めていました。
お手紙の方のお母さんはご覧になられてたでしょうか?
今日の旅は坂がしんどそうでしたけど、正平さんがとてもリラックスして楽しそうな旅でした。
途中でかわいいイノシシさんたちは見れるし、おばあちゃんとの会話、吉村虎太郎邸の優しい方たち。
いい風景といい人たちに出会って、川もキレイ。
最高の旅でした!!
明日は、本山町への旅です。
『こころ旅』の放送時間は?
朝版は、月~金の朝7時45分から15分。月曜はその週のダイジェスト。本番の旅は火~金に放送です。
とうちゃこ版は、夜7時から30分。火~金の放送です。
再放送は?
朝版の再放送は、同じ日の朝11時45分から。
とうちゃこ版は、土日の朝11時から2日分ずつ放送。
土日の再放送の時間は、変更されることがあるのでご注意ください。