BSプレミアムで、10月20日土曜日夜8時~10時に放送されたドキュメンタリー、スーパープレミアム「天国からのお客さま」を観ました。
2時間番組だったので、ひとつにまとめるのが難しく、前回、前々回、今回を含めて5回に分けて、ネタバレを書いていこうと思ってます。
ちなみに以前、書いた物です↓
この番組は、ロボット工学の世界的権威である、大阪大学の石黒浩教授の全面協力のもと、死者が現世に蘇った、という設定のドキュメンタリーでした。
蘇ったのは、1997年に亡くなった勝新太郎さん。2011年に亡くなった立川談志さん。そして1916年に亡くなった夏目漱石さんでした。
今回は、「談志×志らく 師弟対談」と「デッドマンワイドショー」というコーナーのネタバレと感想を書いていこうと思います。
立川談志の紹介
談志さん曰く「落語ってのはね、日本人がこしらえた最高のエンターテインメント。古典落語はこのままいくと、能狂言のようになっちゃうって危機感があったんですね。能狂言が悪いってわけじゃないんだけどね。」
16歳で柳家小さんに弟子入り。落語家としての人生は60年。わがまま、非常識、狂気と言われた立川談志。しかし本人(蘇った設定の談志さん)は一番論理的だと言います。1983年、落語協会と決別して立川流の家元になりました。
志らく、ドリアンをもって現る
師匠の談志が蘇ると聞いた弟子の志らくさんは、談志の好物だったドリアンを持って、対談場所に現れました。志らくさんは、遠慮がちに対談する部屋の扉を開けました。
生きていた姿そのままに作られた、表情も変わる精巧な作りの立川談志さんの人形に、志らくさんは息を飲みました。(これ以降、人形扱いせず、談志さんと書きます。)
「おはようございます。ドリアンを持ってきました。」と袋のままドリアンをテーブルに置く志らくさん。「別に何かしくじったというわけではないんですけど…。」と談志さんと目を合わせず、話す志らくさん。
中村玉緒さんも蘇った勝さんに対して同じような態度を取ってらっしゃいました。現実にいないと分かっていても、あまりに同じ姿かたちで動いて話すので戸惑っている感じでした。
「何しに来たんだい?志の輔や談春は来ないのかい?」と切り出す談志さん。「師匠、あの2人はものすごく忙しい…。」と話をはぐらかそうとする志らくさん。
「忙しいったってお前、俺がわざわざ来てんだから来ればいいじゃないか。」と返されると「分かりました。え、2人にはね、今日師匠がお見えになるってことは言ってないのでございます。全員集まると師匠も大変だから、誠に申し訳ないけれども私が代表して…と。師匠が亡くなってもう7年になりますけれども、師匠の事だからきっとお化けになって出て来てくれるんじゃないかと思って…それが出て来ないからね。」と志らくさん流に返事をします。
談志さんがお化けになって出て来ない理由は、向こう(天国)が快適だということでした。
お化けになってでも会いたい、と志らくさんが思ってることに愛を感じました。
談志さんの家に住む志らく
話題は、談志さんが住んでいた家に現在、志らくさんが住んでいることについてに変わりました。志らくさんは現在、談志さんのお宅を改築して住んでいらっしゃいます。
談志さんは「住んでくれてありがたい気持ちはもちろんあるしね、ただ俺のプライベートな物をね、いくらお前だと言ってもね、何か見られてるという不快感はあるね。」と言います。
「どうもすいません。でも、人が住まないとどんどんどんどん腐っちゃうし、師匠の着物だとか、映画のポスターとかも、もうカビだらけになったんで、それを保管しないといけない。だから私は、師匠の家のま、管理人ですね。名前を継がずに家を継いだと私は思っていたんですけれど。」と謝りつつ、自分の気持ちをしっかりと伝える志らくさんです。
話は庭の桜の話になり、談志さんがしまってたコレクションにまで及びました。
内容はなかなか書けないので、知りたいかたはNHKに再放送のリクエストしてください。
志らくさんとしてはこれ、師匠をイジったんですよね?愛なんでしょうか?こののノリが私には分かりませんでした。
談志ネタでテレビに出る志らく
次に、最近志らくさんがテレビで談志さんのネタばかり話していることをツッコんでいました。
志らくさんは談志さんのことだけで呼ばれているわけでもないが、談志さんは亡くなった人、過去の人で世間の人に忘れられていかないように、自分が談志さんの名前を出しているのだと言います。
談志さんは照れ隠しに「ゴマするっていうか、談春のようなやり方を覚えたね。」と言うと、「そういう言い方をすると、談春兄さんが傷つきますから。」とフォローしました。
私は、この師弟のやりとりを見て、はじめ馴染めていなかった志らくさんが、自然に生きている談志さんにフォローしているように見えてきました。
「そうしょっちゅう戻るわけには行かないけどね、お前と話出来て、それはそれでよかった。…もう行け。」と談志さんが話を終わらせようとします。
すると志らくさんは「最後に一つ、お願いがあるんですけど…。」とスマホを持ち出して、2人の写真を撮りました。
「師匠すいません、ありがとうございました。」と志らくさん。「勝手にしろってやつだな。あとは成り行き。人生成り行き。好きにやっときゃいい。」と談志さんが言って師弟対談は終わりました。
この対談は面白かったです。二人の関係がどんなものだったのか、私には全く分かりませんけど、志らくさんが今でもとても談志さんのことを思ってるのが伝わってきました。まるで片思いしているかのようでした。
たとえ偽物でも写真を撮りたいなんて、本当に愛していますよね!
観れてよかったと思いました。
太田光さんとの対談
次に、久保田祐佳アナウンサーが司会を務め、「デッドマンワイドショー」と題して、立川談志さんが亡くなって7年の間に起こったニュースを振り返って、談志さんに意見を求めるコーナーになりました。爆笑問題の太田光さんも呼ばれました。
太田さんは「あら~」と言って戸惑いながら登場しました。
太田さんを迎えてのトークは、私にはついていけなかったです。
談志さんの言う通り、太田さんだけが話を理解できるようです。二人のやり取りを観ていて思いました。
談志さんに救われた太田さん
談志さんは生前、天下を取るよう、本当に太田さんに言っていたようです。
太田さんが40歳になった頃、仕事に悩んで談志さんに相談した時「流されるままにとにかく今は、考えずに。流れのままにやっときゃいいよって言われて。50までは。割と50が近づいてきた時に師匠にもう一回会う機会があって、「実は師匠覚えていないだろうけど、こんなこと言われた。もう50になるんですけど、まだ全然定まっていないんですよ。」って言ったら、じゃあ、60までにしといてやるよ。って。それで何か凄い気持ちが軽くなった。」とお話しされてました。
談志さんは談志さんで、最後ガンで声が出にくくなってきた事を悩まれてたそうです。
「僕にとってははね、あのしゃがれた声の立川談志もね、スゴイ良くて。声帯とか取っちゃてもいいから生き長らえて…身振り手振りでもうるさいじゃないですか。十分。声の出ない立川談志も、それも見て見たかった。」と太田さんは惜しみます。
しかし志らくさんは「いや、もういいじゃない。あんだけ生き様を全部見せて、あと談志にね、家元に何を望むんだ。」と言ったそうです。
太田さんは弟子ではなく、ファンなのでその分残酷なんだとご自分でおっしゃっていました。
談志さんは太田さんの話をずっと黙って聞いていました。
「あの…ありがとう。うん。あなたに会えたことはね、よかった。それだけ。」と話を締めくくりました。
太田さんにとって談志さんは憧れ。死んだ今もなお、近寄りがたい存在。もともと遠い別世界の人だといいます。
それがまた別世界に戻った、という感覚で、変わらない。
対談の後、太田さんは語られていました。
弟子とファン、それぞれの立場での対談を観ましたが、やはり志らくさんとの対談の方が観ていてよかったです。
太田さんとの対談はブログで書けない部分が多くて、知りたい方はNHKに再放送のリクエストして下さい!