ぴえーるのテレビブログ

テレビ好きによる番組感想とドラマ展開予想の雑記ブログ

にっぽん縦断こころ旅2019秋を観た感想*山口県2日目長門市*楊貴妃の里で言い伝えを聞き、油谷湾に浮かぶ手長島を見る

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BSプレミアムで放送中の『にっぽん縦断こころ旅』。

『にっぽん縦断こころ旅』は、俳優の火野正平さんが視聴者の方のこころの風景を自転車でめぐる旅番組です。

11月18日~11月22日は山口県です。

www4.nhk.or.jp

放送時間は、朝版」が月~金7時45分~7時59分朝版」再放送が11時45分~59分の15分番組。とうちゃこ版」が火~金夜7時~7時29分の30分番組。「とうちゃこ版」再放送が土・日朝11時~11時58分に2日分ずつ放送しています。

 

885日目、山口県2日目は長門市の旅

11月20日放送分、山口県2日目は、長門市の本州最西北端の川尻岬でオープニングでした。

この番組、お手紙に連れてかれて、うわこんなとこ来たことない!っていうのがすごく多いんだけど、出発ん時もこんなとこ来たことねえよ。」と言う正平さん。

 

 岬から海をのぞくと、断崖のところに釣り人がいました。

「スゴイね。あんなとこで釣りしてるんだよ。」とスゴイところで釣りをしている人を見て驚いていました。

カメラマンさんが大きくズームしてくれないと、誰がいるのか分からないぐらい崖の先っちょで釣りをしている人が遠くに見えました。

そこまで行けるような道があるらしいんですが、釣りのためにあんな崖まで行くなんてスゴイです!

 

お手紙の内容

今回のお手紙は、長門市の69歳女性から。

こころの風景は、山口県北西部に位置する、長門市油谷湾に浮かぶ手長島(てながじま)です。

かわいい島で、海に両手をのばしているような形だそうです。

45年前。最初の赴任地である油谷向津具(むかつく)半島にある小学校に、事務職員として採用されたお手紙の方。

 ご両親も大変喜んでくれたといいますが、採用3日目にお母さんが重篤な病気だと分かったそうです。

初めての仕事に戸惑い、泊り付きの新採研修もあり、大変な日々が始まりました。

その頃、車の免許を取ったばかりで、住んでいた青海島(おおみじま)の自宅から、40km近くある学校まで、1時間かけて通勤していたお手紙の方。

お母さんの病気が完治しないと分かっていたので、家族の心が沈む毎日だったといいます。

昼間は仕事で気がまぎれることもあったそうですが、勤務終了後、お母さんのことが思われて…。

家族はどうなるのだろうという大きな不安もあったとのこと。

帰る途中、茜色に染まった美しい油谷湾の見えるところに車を止め、そこに浮かぶ手長島を泣きながらしばらくボーっと眺めて帰るのが習慣だったそうです。

夕日に染まった油谷湾、手長島に慰められたといいます。

たまに油谷に出かける時、湾に浮かぶ手長島を見るたび、当時の辛かった、悲しかったことを思い起こし、同時に頑張った若い頃の自分を思い出すお手紙の方です。

 

日本一周中の青年と出会う

お手紙を読み終わり、出発のために歩いているところに「正平さんですよね?握手していただいてもいいですか?」と一人の青年から声をかけられていました。

照れながら握手に応じる正平さん。

「あれか?あの自転車か?」と奥に見える自転車を指さしながら言うと「そうです。僕、あれです。」と笑顔で答える青年。

「日本一周してた人だ。141日目だって。」と嬉しそうにテントを指さす正平さん。

青年は愛知県を出発し、5分の4を回って、これから山陰の島根鳥取を通り、京都を通り越して滋賀で愛知に帰るのだそうです。

正平さんが「ここまで上がって来るの大変だったでしょう?」と聞くと「はい。大変でした。正平さんも上がられたんですか?」と青年に聞かれ「僕車でーす!」と爽やかに答える正平さん。青年は大爆笑。

正平さんは「下りるとこだけ自転車で行きます。」と答えていました。

オレンジのテントに「日本一周141日目」と書かれてあって、今晩はここに一人で泊まるそうです。

日本一周と書かれたボードには、三河一宮の交通安全のステッカーが貼られていました。

出発前に安全祈願してこられたのでしょうか?

 

名残惜しいところですが、正平さんは「頑張ってな!」と青年に声をかけました。

お手紙の方の帰り道をたどり、手長島の見える場所をさがす旅、出発しました。

 

アサギマダラを見つける

勢いよく出発してすぐ、正平さんの横を、1匹の蝶がすれ違います。

アサギマダラですよ!渡る蝶々ですよ!」と、慌てて立ち止まる正平さん。

アサギマダラは黄色いお花に吸い付くように止まってくれました。

今渡りの途中なんだろうな。」と渡り鳥ならぬ渡り蝶々なんだそうです。秋になると台湾まで南下する蝶だそうです。

詳しくはWikipediaで。↓

ja.wikipedia.org

はっきりと模様まで見えて、大きな蝶でした。

「いや~、いいものみた。」とゴキゲンの正平さん。飛び方も優雅でキレイな蝶でした。

 

旧向津具小学校から楊貴妃の里へ

まず、お手紙の方が勤務されていたという旧向津具小学校へ着きました。平成25年に移転し、今は使われていない校舎が残っていました。

そこからお手紙の方が帰ったであろう道をたどって走っていると、「楊貴妃の里」と書かれた案内板が見つかりました。

スタッフさんの誘導通り走る正平さん。久津漁港へ出ました。

海沿いに走っていると、左側に何やら中国っぽい建物が見えてきました。ちょうど、犬の散歩をしていた男性がいらっしゃったので挨拶。男性はすぐに火野正平さんだと気づきました。

「あの屋根が楊貴妃のあれですか?」と質問。「そうです。突き出したの。」と答えてくれて、カメラが屋根を映すと、確かに屋根の上に突き出した何かがありました。

正平さんが「楊貴妃ってここで取れたの?里って…。」と質問すると「知らん!興味ない!流れ着いたっちゅう噂は聞いちょるけどね。」と答えてくれました。

流れ着いた楊貴妃のお墓があるとのことでした。

男性の案内に従って、楊貴妃の里に行ってみることにしました。

 

…と、ここまでが「朝版」でした。

 

 

「とうちゃこ版」では、男性との会話を放送していました。

「だけどあんたがたエライねぇ。これで日本一周して歩きよるん?」と正平さんたちを褒め始めた男性。

「一周でもないけど、点、点、点、点だけど。」と答える正平さん。

「俳優業しちょった方がええんやない?」

「でもねぇ俳優、全然最近売れないんよ。」

「嘘やろ?そら昔、女の子泣かしとってから。」と言って豪快に笑う男性。

話してる途中でワンちゃんが飽きてきたのか、あくびをし出して「ウォーン。」と、顔を上に上げて一度鳴きました。

楊貴妃の墓が、木の柵に囲まれてあるらしく、近くに個人の墓もあり、個人の墓の方がいいものなので、見間違う。とおしえてくれました。

正平さんは男性の話を聞いて「お父さんオモロイな、なんでもええけど。」と、男性の話術を絶賛していました。「この地域の番人じゃ。」と最後まで面白い人でした。

 

ワンちゃんも飽きてきて、ヒモを引っ張って歩き出したので、お礼を言って別れて、楊貴妃の里へ向かいました。

 

話はズレますが、この男性が連れていたワンちゃんが、柴犬系の大きな犬で、正平さんたちが話してる間中、ウロウロと動いていて、とてもかわいかったです!!

私も以前、柴犬系の大きな雑種犬を飼っていたことがあるので、このワンちゃんが飼っていた犬に見えて、会話そっちのけで釘付けになりました。

飽きて鳴き出した時なんか、こういう風にうちの犬もほっといて話してたら鳴いたなぁ…と懐かしくなりました。

 

楊貴妃の墓の由来を聞く

楊貴妃の里・真言宗龍伏山二尊院というところへ、階段を上って訪ねました。

奥にあった楊貴妃の像の下まで行って、説明文を読みました。

 詳しくはこちら。↓

楊貴妃伝説の寺 二尊院|山口県長門市観光サイト ななび

.近くの売店でお茶がいただけるとのことで、入っていき、コーヒーを飲んでいると、お寺の住職の方がやって来てくださいました。

 

住職によると、このあたりの地名は向津具(むかつく)といい、元の語源は向国(むかつくに)と言って、本州では最も大陸に近い国だったそうです。

港が北を隠すような形の湾で、昔からいい港だったので、大陸から日本に向かってくるルートの1つとして来ていたとのこと。

昔から、向こうの国に行く場所、来る場所だったそうです。

 

ーーなんで楊貴妃がこちらに来たのか?

唐の6代皇帝・玄宗の愛妃・楊貴妃が、歴史の中では安禄山の乱で、皇帝の政治を狂わせた人間として処刑された。となっているが、この地の言い伝えでは、それでは楊貴妃がかわいそうだとして楊貴妃を逃がしてあげた。

それが暖流に乗ってやってきたのがこの地。だということだそうです。

 

住職さんと記念撮影をした後、楊貴妃の墓とされる場所にも行っていました。

楊貴妃の墓を中心に、お付きの方たちの物と思われる小さな墓が周りを囲むようにありました。

墓の前には、青銅の摩尼車という、回転させると一回お経を読んだ事と同じ意味となる仏具が置かれていました。

正平さんは摩尼車を回転させながら、以前、役でお経を覚えたというお話をしていました。

 

お墓の石はとても古くて、本当に楊貴妃のお墓かも?と思いました。

まぁ、楊貴妃が本物じゃないとしても、唐から来た人がいたのは間違いないのかもしれません。

 

楊貴妃の里を出て、お手紙の方が帰り道に通った道路を走る正平さんたち。

右側の海に手長島が見えました。

手に見える位置をさがして走りました。

 

こころの風景

カメラマンのジュンさんと相談して、手長島が両手を広げているように見える位置でチャリオを降りた正平さん。

次は夕日です。

雲の合間に見える夕日のタイミングを狙いました。

 

辺りが暗くなってきて、正平さんはお手紙を読みました。

「朝版」では読まれなかった、お母さんの闘病生活を家族の皆さんで支えた事や、お母さんが亡くなったと、一人暮らしを続けていたお父さんが2年前に亡くなったことが書かれた部分が読まれていました。

若いお手紙の方たちごきょうだいが、お母さんが亡くなったあと、仕事に学校に頑張っていたことが伝わり、切なくなりました。

正平さんがたどった道は、帰り道の思い出と一致したでしょうか?

 

あと、楊貴妃が来たかもしれない土地が、日本にあったのにはびっくりしました。

実際、大陸から人や物が渡って来てた場所だったそうですし、日本海は、唐の時代、日本では奈良時代、日本と大陸を結ぶ重要な場所だったんですね。

物や人が活発に行き交ってた向津具の旅。

歴史のことも知れた旅でした。

 

明日は下関市です。

 

 

 

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