BSプレミアムで放送中の『にっぽん縦断こころ旅』2020秋の旅!
『にっぽん縦断こころ旅』は、俳優の火野正平さんが視聴者の方のこころの風景を自転車でめぐる旅番組です。
11月30日~12月4日は徳島県です。
前日・徳島県1日目鳴門市への旅の感想はこちら。↓
961日目、徳島県2日目は徳島市への旅
12月2日放送分・徳島県2日目は、徳島駅のそばの眉山が見える藍場浜公園でオープニングでした。
お手紙の内容
今回のお手紙は、愛知県瀬戸市の72歳の方から。
こころの風景は、徳島市立渋野小学校です。
おばあさんが用務員として働き、定年退職後はお母さんが用務員となり、お手紙の方たち家族一同の歴史と愛がいっぱい詰まってる場所。
小さな田舎町の小学校なので用務員は住み込み。
おばあちゃん子だったお手紙の方は、いつもおばあさんのそばにいるのが大好きだったといいます。
その頃、町には小学校にしか電話がなく、急用なことは、おばあさんが町中の家まで知らせに行っていたとのこと。
とても寒い冬の夜。おばあさんのに手を引かれながら、歩いて知らせにいったこと。星がとてもキレイだったことをはっきりと覚えているというお手紙の方。
中学2年生の時に、おばあさんの定年でお母さんが用務員となり、学校に入りました。
そんな中、お母さんの急病で一か月ぐらい入院した時があったとのこと。
お父さんと二人で朝5時に起きて、7時30分先生たちがバスがいらっしゃるまでに、職員室の掃除と湯沸かし(この頃は薪釜)、家族の朝食と、てんてこ舞いしながらお母さんの代わりに手伝ったそうです。
そして小学校の頃は運動会が楽しみで、町中の人が昼休みは家族揃ってお弁当を広げ、賑やかだったといいます。
その小学校も、今は隣町と合併して移りました。もう今は、跡地しかないのです。
でもそこに立つと、六十五年前の賑やかな声や、グラウンドで遊んだ友の顔、おばあさん、お母さんの笑顔が浮かんでくると思います。
正平さん、是非訪ねてみてください。
…というお手紙でした。
お手紙には、『渋野小唄』の歌詞が同封されていました。校歌よりこの歌の方を練習したと書き添えられていました。
マツタケはすき焼き
公園にいた子供たちに見送られ、約13km先の旧渋野小学校を目指して出発しました。
橋を渡り、徳島の町の商店街に入っていきました。
マツタケが売られてるお店の前を通ると、お店の方が「正平さん?ご縁だな。マツタケあげるよ。」とおっしゃってる声が聞こえてきました。
通り過ぎていた正平さんでしたが「マツタケあげるよ。」の声を敏感にキャッチ。
「俺たちおかしいやん、あげるって聞いたらすぐ行くって。でもせっかくだから見に行こ!」と言って引き返しました。
「マツタケより、すだちもうないんだね。すだちあるの?あのね、もうすだち9月で終わりよって言われたんやけど。あんの?」とびっくり。
お店の方によると、9月頭に冷蔵庫に入れたものを3月まで売るのだそう。
真っ青なすだちが箱に詰められていました。
ちなみにマツタケは、徳島産、中国産、カナダ産、アメリカと色んな所の物が置かれていました。
大きなマツタケの匂いをかがせてもらった正平さん。「いやーデカいな。」と感心していました。
「すき焼きにしたいな。」と正平さんが言うと、お店の方も「すき焼きにはマツタケの香りもいいけど、だしがいいですからね。」とおっしゃってました。
「マツタケはすき焼きやってね、亡くなった勝新太郎さんに教えられたんです。」と返す正平さん。
勝新太郎さんの思い出話が聞けました。玉緒さん喜んでるかな?
マツタケはさすがにでしたけど、すだちは手に入り、満足げな正平さんでした。
お昼は冷たいおろしねぎ蕎麦
町の中を通り抜け、無有庵というお店でお昼になりました。
正平さんは、おろしねぎ蕎麦を選択。お店の方のおすすめで冷たいのを注文していました。だしの味がよく分かるとのこと。
お蕎麦が運ばれてきて、一口食べ「だしがカツオの味で。おいしい!」と言っていました。
出汁がおいしかったようで、れんげで何回かすくって飲んでいました。
どんな味だろう…と気になりました。見た目はねぎが沢山かかってて、とても美味しそうでした!!
食後、お店の人にお手紙に書かれていた『渋野小唄』について質問した正平さんでしたが、ご存じありませんでした。
…とここまでが『朝版』です。
現在の渋野小学校に到着
『とうちゃこ版』では、田んぼの間の道を通って山をまわりこみ、走っているところが放送されていました。
その時に正平さんの歌が流れていました。
渋野に入ったかどうか、目印をさがしていると、左側に渋野小学校と書かれた案内板が出てきて、矢印に従って左折。
田畑の間の道を通っていると、正面に学校らしき建物が見えました。
現在の渋野小学校に到着。校門のところに『旧渋小の松』と書かれた石碑がありましたが、松がありませんでした。
門が閉じられていて、「ごめんください!渋小の先生!すいません!ちょっとお伺いしたいんですけど!」と大きな声で中に呼び掛ける正平さん。
中から先生が出てきてくれ、元の渋野小学校の位置を教えてくれました。
公民館の横の保育所が、昔の渋野小学校だとのことでした。
前の小学校が分かったところで、正平さんは『渋野小唄』についても質問。
お手紙の方が送ってくれた歌詞を見せましたが、先生も分からない様子。
他の先生が『渋野音頭』と書かれたCDをさがして持って来てくれました。が、『渋野小唄』ではありませんでした。
こころの風景
スタッフさんが『渋野音頭』のCDをお借りして、再出発。
親身になって質問に答えてくれた先生たちに、正平さんは「ええ先生やった。怖くなかった。」と言って再出発していました。
三ツ岩のバス停前を通過。
先の方に公民館らしき建物が見えて、入ってみることに。
渋野公民館に到着。横に保育所がありました。学校跡地にとうちゃこです。
校庭もありました。
正平さんは、近くにいた方に「ここの空き地は、元の渋野小学校ですか?」と質問。
公民館もグラウンドも渋野小学校だったそうです。
正平さんはさらに『渋野小唄』についても質問。
「あります。私は歌えないですけど、『渋野百年史』というのに載ってます。『渋野音頭』と同様に。」と答えてくれました。
正平さんはその歌のレコードとかがないか?と聞きましたが、『渋野音頭』はあるとのことでしたが、『渋野小唄』はないとのことでした。
その方も『渋野小唄』が歌える人がいたら、テープで欲しいぐらい。とおっしゃっていました。
かつては『渋野音頭』も運動会で踊っていたらしい。と字幕が出ていました。
『渋野小唄』は全然残っていない。とのことでした。
BGMに『渋野音頭』流れて、正平さんが校庭を歩きました。
かつて正門があった場所に行き、『德島市澁野小学校』と書かれた門柱も見つけました。
正平さんが校庭まで歩いて行くと、保育所の子供たちが見えました。
そしてベンチに座り、お手紙を読みました。
「今は合併して向こうの小学校になってるけど、いい先生だった。うん。今日も楽しかったな。風きつかったけどな。さて明日どこ行くか?バイバイ!」と言って番組を締めていました。
最後は保育所の子供たちの笑い声で終わっていました。
オープニングも子供たちで、最後も子供たちでした。
小学校はなくなっていましたけど、公民館として残っていて、校庭も残っていたので、なんとなくの雰囲気が残っていました。
用務員室はどこにあったのかな?
今も子供たちの笑い声が聞こえるいいところでした。
次は、板野町への旅です。
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『こころ旅』の放送時間は?
朝版は、月~金の朝7時45分から15分。月曜はその週のダイジェスト。本番の旅は火~金に放送です。
とうちゃこ版は、夜7時から30分。火~金の放送です。
再放送は?
朝版の再放送は、同じ日の朝11時45分から。
とうちゃこ版は、土日の朝11時から2日分ずつ放送。
土日の再放送の時間は、変更されることがあるのでご注意ください。