毎週水曜夜11時から放送中の「TOKIOカケル」。12月19日放送分は、フジテレビのバラエティーに出演するのが最後となる、滝沢秀明さんをゲストに迎えた回でした。
滝沢さんのデビューの頃
1982年に東京都八王子市で3人兄弟の末っ子として誕生した滝沢さん。番組では赤ちゃんの時からの小学生までの写真が出てきて紹介されていました。
ナレーションで「美少年の気品を感じさせます。」とありましたが、小さい時のお顔は現在の美しさがあまり出てきてないように思いました。
けれど、小学校高学年の写真になると途端に華が出てきていて、キレイな顔立ちに成長していました。さすが!
Kinki Kidsの堂本光一さんファンだったお姉さんが、ジャニーズ事務所のオーディションに応募して見事合格。1995年、13歳の時にジャニーズに入所。
さらにその一週間後、Kinki Kidsのコンサートでいきなりバックダンサーとしてデビュー。さらに半年後、ドラマ「木曜の怪談 怪奇倶楽部」で主役に大抜擢されました。
ドラマ好きの私としては、「木曜の怪談」が滝沢秀明さんを知った最初の番組でした。主題歌が私の好きなL⇔Rの「DAY BY DAY」だったのでよく覚えています。木曜夜8時からで、毎週観てました。
このドラマは滝沢さんのほかに今井翼さん、野村佑香さん、あともう一人男の子川野直輝くんという子がいて、その4人が怪奇現象に挑んでいくってドラマだったと思います。
のちに確かバンドか何かを組んで、川野くんがドラムをたたいていたのを覚えています。彼はどうしたんだろうと思って検索したら、プロのドラマーになっているそうです。その情報を知り、かすかな記憶と合致してなんだか嬉しくなりました。
話は戻って、「木曜の怪談」で初めて滝沢さんをみたときは「なんじゃ、この美少年は!!」と驚きました。
1995年頃と言うと、Kinki Kidsが前年の1994年に「人間、失格」に出たり、95年「家なき子2」に出たりして売れ始めていた頃でした。
今回の「TOKIOカケル」を観て、滝沢さんのデビューのきっかけもKinki Kidsファンのお姉さんが応募したからだと知って、当時を思い出して懐かしい気持ちになれました。
私もあの頃、学校でKinki Kidsのどっちがいい?とか話していました。
私たちのグループは5人いて、3人が光一さんで、2人が剛さんでした。あの時のKinki Kidsは光一さんがまだ今のキャラを出していなくて、剛さんがお笑い担当みたいな感じでやっていたので、ジャニーズらしいキャラは光一さんの方でした。
ジャニーズJr.としての活躍
番組では2000年にフジテレビで放送された「TOKIO!Kinki!V6!Jr.!超豪華密着150分」という番組のVTRを流していました。
99年の大運動会の場面。そのなかの5人組リレーで紅組のアンカーを務めた滝沢さん。
1走は、紅組二宮和也さんと白組松本潤さんの対決。二宮さんが勝って2走の相葉雅紀さんにつなぐと、白の生田斗真さんを大差で引き離しました。
相葉さんから丸山隆平さんに渡り、4走の山下智久さんへ渡った時点で、白とは大きく差が出ていたところ、白のバトンを受け取った櫻井翔さんが猛攻をかけ、差が縮まったところで、アンカーの滝沢さんにバドンが渡りました。白は今井翼さんです。
翼さんも速かったですが、滝沢さんは差をキープしたままゴールしました。
また、17歳の時にはアントニオ猪木さんとプロレスの試合もしていました。
この運動会に出ていた嵐のメンバーや関ジャニ∞のメンバーも含めて皆まだ10代のJr.時代でした。この時ジャニーズJr.の全盛期で、朝日系列では「8時だJ」や、テレビ東京系列の「愛ラブジュニア」など、ジャニーズJr.の番組がレギュラー放送されていました。
現在のジャニーズJr.が出演している番組で、レギュラー放送されているのはBSプレミアム金曜夜8時「ザ少年倶楽部」があります。
2002年に今井翼さんとタッキー&翼でCDデビュー。代表曲は2006年の「Venus」で、アーティストとしても活躍。
若くしてジャニーズを牽引してきた滝沢さんでした。
演出家滝沢秀明への転身
裏方として生きる滝沢さんに、城島茂さんが「本当の自分に戻れるのはいつ?」と質問しました。
プロデュース業をしていくことになる滝沢さん。「ある程度形にするまで、オンオフのスイッチを切らなくてもいいかな?ジャニーさんがそれまでやって来たと思うので、自分もやってみたい。」とおっしゃっていました。
ジャニーさんの近くでモノが作られていくさまをずっと見てきて、昔から興味があったんだそうです。
実は、滝沢さんは17歳の頃に、既にジュニア単独ライブの演出をしていたことを番組で紹介していました。
99年。初のジャニーズJr.単独では史上初の東京ドーム公演があり、滝沢さんはパフォーマンスはもちろん、ライブ演出にも携わっていたんだそうです。
ちなみにこの時のジャニーズJr.には現在の嵐、関ジャニ∞、NEWSのメンバーが在籍。Jr.黄金期と呼ばれていましたことも紹介されました。
滝沢さんがジャニーズJr.に在籍していた時のJr.の人たちは、後にデビューして今でも売れている人が多いことに驚きました。
23歳になった滝沢さんは、新たなジャンルに進出。ジャニーズ未開拓の日本伝統芸能の世界へ進出。時代劇LIVEミュージカル「滝沢演舞城」を、新橋演舞場史上最年少座長として、主演を務めました。
さらに28歳になると、主演だけでなく、自ら演出も務める「滝沢歌舞伎」をスタート。現在に至るまで公演回数は700回以上。
この舞台の見どころが、腹筋する態勢で太鼓を連打することから、ファンの間で「腹筋太鼓」と呼ばれる「滝沢歌舞伎」の名物になっているのだそうです。
映像を観ましたが、回転する装置で宙刷り状態で太鼓を叩いていて、さらに下の方では同じように腹筋を見せながら男性たちが丸く取り囲んで、一斉に太鼓を叩く姿が映っていました。
ちなみに来年からは、滝沢さんが演出に専念し、「滝沢歌舞伎ZERO」としてさらに進化を続けると紹介されました。
2016年から、V6の三宅健さんが滝沢歌舞伎に出演していますが、三宅さんを呼んだ理由を国分さんが聞くと「ちゃんとお仕事したことが実はなくて、一度も喋ったことがないくらいの先輩だったんですけど、想像が出来なかったので、逆にやってみたいという思いからオファーした。」と答えていた滝沢さん。
想像できるメンバーでやるのはお客さんも面白くないだろうと考えたんだそうです。
私は滝沢さんの話を聞いて、そういう思い切ったことをする度胸のよさを感じました。演出家に転身する前から、自分自身も演じる側なのに、キャスティングをお客さん目線で客観的に考えたり、先輩を冷静な目で見たりしていて、やっているうちにどんどんアイデアが出てきて、演じるよりそっちのほうが面白くなっていったんでしょうか?
TOKIOの中では、松岡さんを弁慶役で名前を出した事があるそうです。松岡さんの弁慶、見てみたいなと思いました。
滝沢さん、2005年の大河ドラマ「義経」で主人公の義経役をしてました!!
ドラマ好きの私としては、「木曜の怪談」以来の滝沢さん主演で観ていたドラマです。
この時の弁慶は松平健さんで、伊勢三郎に南原清隆さん。伊藤淳史さんも家来として出ていました。
壇ノ浦の戦いのシーンで、平知盛役の阿部寛さんとの一騎打ちでの、キラキラした演出はちょっと違和感を覚えました。滝沢さんが義経を演じるなら…っていう妄想を膨らましていったら幻想的になってしまった…ってことなんでしょう。まぁ、なんにせよ美しかったのでよかったですが…。
その他、平清盛に渡哲也さん、藤原秀衡に高橋英樹さんなど、脇役も素晴らしいドラマでした。面白かったです。小池栄子さんの巴御前もイメージに合っていて、適役だと思いました。
表舞台を去る理由
アイドルと演出家の二つの顔を見せ、トップを走り続けた滝沢さん。表舞台を去り、裏方に徹する理由をTOKIOに語っていました。
「ジュニアの黄金期って呼ばれていた時代が、僕にとってはいい風景に見えていたので、10年の間にジュニアの黄金期をもう一度作りたいって思いが今、強いですね。」
と言う滝沢さん。
それを作らないと今回の決断の意味がない。とまでおっしゃっていました。
国分さんは、「その10年の間に表に戻りたいっって気持ちは湧いてくる?」と質問されていましたが、「無いと思います。」ときっぱり答える滝沢さんでした。
画面越しにも未練がないように見えました。
しかし、こんな男前を裏に置いたままいられますかね~??
華があり過ぎやしませんか?ジュニアより輝いてしまうんじゃないですか?
なんて、心配をしてしまう私です。今でも「木曜の怪談」で初めて見たときの衝撃が忘れられません。それまで出てきていたジャニーズの子たちから見ても、一番かわいいんじゃないかと思いましたから!
すごい子見つけて来たな~って感じでしたよ。
でも、滝沢さん本人は裏方に回って後輩を育てたい思いの方が強いんですよね…。これからのジャニーズを考えての一大決心なんですよね。きっと。
「義経」好きでしたけどね~。「義経」のあと、他局のスペシャルドラマで「里見八犬伝」かなんかでも殺陣やってましたよね。滝沢馬琴だから滝沢秀明?と当時は思ってましたが。
引き付けられたな…。辞めるのか。そうなのか。
残念だなぁ。
TOKIOからのメッセージ
まずは国分太一さんから。
「一緒に司会やったりとかして二人で。その時から後輩を見る目だったりとか、後輩のことを思ってるなぁと。これ言ってこなかったことなんだけど、タッキーすごいなと。見習わなきゃいけないなっていうのはあったんですが。タッキーが裏にいくことによっても、俺のタッキーの先輩後輩は変わらないと思うし。タッキーも遠慮なくもし、僕の力が欲しいなと思ったら、いつでも連絡ください。あと、時間があれば私のダメ出しもしてもらえると嬉しいなと。今後とも先輩後輩のお付き合いは続けて行きましょう。」と最後握手していました。
松岡さんからは「まずは23年お疲れ様でした。今回のスタッフになるっていうのを聞いた時、正直、第一印象は滝沢らしいなと思いました。滝沢らしくいったんだなって思うのと同時に滝沢らしく収まって欲しくないな。次の事がきっとあるでしょう。Jr.の事も含めて。時代が変わってるから年号も変わるし。子供たちがもっともっと変わってくる。ジャニーズももっともっと変わってくる。そのなかで滝沢が新しい風を吹かせてくれたら嬉しいなと思います。」とおっしゃっていました。
今まで先輩に甘えて来れなかったけれど、これからは甘えていきたいな。と言っていた滝沢さんです。
次は長瀬さん。
「世の中的には俺とは接点があまりないってみんなは思ってるんだけど、コアな部分では共通してる部分があって…。(中略)誰かに言われたわけじゃなく自分で何かを作りたいって気持ちがお互いあったわけだし。十数年前に聞いた時の滝沢の気持ちを、俺は今でも忘れていないんで、それをやっぱ貫いて欲しいな。それがブレてしまったら、俺は滝沢ブレたなって思ってしまうし、そういう風に思わせて欲しくないなって思う部分もあるし。タッキーなら大丈夫だろうなって信じてるんで。でも楽しむ事も忘れずに妥協せずに負けずにこれからも戦って欲しいなと思います。」というメッセージを送っていました。
口下手な城島さんは、手紙を書いてきて読んでました。
「タッキーへ 1995年で13才で芸能界に入り、今日まで本当に色々あったと思います。1人では無く、2人でデビューしたいと言った君。自らの名を冠した舞台で、最年少座長いて劇場に立った君。そしてスポットライトを浴びる側では無く、浴びせる側に立とうと思った君。その全てがそれぞれがあなたの素顔であり、本音なんでしょう。“ダイヤはダイヤでしか磨けない”これから滝沢秀明さんがどんな原石を見つけ、どう輝かせていくのか、楽しみで仕方ない自分がいます。ありがとうタッキー。これからもこの先も全ての方に夢を。」と書いてきた手紙を手渡していました。
なかなか詩的な文章で、素敵な言葉でした。
最後は花束渡して、華々しく見送っていました。
新聞報道だけでなく、こうしてご本人の言葉で引退の話が聞けてよかったです。
しかしやっぱ残念は残念だな…。