BSプレミアムで放送中の『にっぽん縦断こころ旅』。
『にっぽん縦断こころ旅』は、俳優の火野正平さんが視聴者の方のこころの風景を自転車でめぐる旅番組です。
6月13日~6月17日は宮城県の旅です。
前日、宮城県の旅3日目東松島市への旅を見た感想はこちら。↓
1099日目、宮城県4日目は石巻市への旅
6月17日放送分宮城県4日目は、前日の目的地である東松山市の矢本。一本松のある田園風景でオープニングでした。
お手紙の内容
今回のお手紙は、東松山市の25歳女性 から。
こころの風景は、10年前の放送時・旅の目的地だった石巻市の日和山神社です。
10年前の放送時入学したての高校生だったお手紙の方。
雨を食べながら歩いていた時に正平さんと出会い、日和山神社にお参りをし、記念撮影をしました。
そんな高校生だったお手紙の方も今は結婚し、2人のお子さんを持つお母さんになりました。
当時の通学路だった日和山に、今はお子さんを連れて遊びに行ったり、神社に参拝したり感慨深いものがあるとおっしゃっています。
コロナウイルスや自然災害。世知辛い世の中ですが、笑顔を忘れず頑張って行きたい。
…というお手紙でした。
正平さんがお手紙を読んだ後、2012年110日目の旅で、お手紙の方たち高校生5人組の女の子たちと出会った場面が流れていました。
そのなかのお1人が今回のお手紙の方です。
当時、その方たちと一緒に写した写真が紹介されていました。
正平さんが楽しげに笑う女の子とたちに「今にお前達だって悲しんだり泣いたりすることがくるぞ。」とからかうと、女の子たちは「きたよ、でも。」「来たからこんなはっちゃけられるんだよね。」と言ってました。
一瞬ハッとなる正平さんでしたが、「そうじゃなくて、もっと私生活でな。好きな人が出来たりな。」とからかおうとしてました。
でもすぐに「でも今の良いな。悲しいことがあったからこんなはっちゃけられる。な!」としみじみしていました。
ーーー
10年前の懐かしい写真を眺めて「思いきり悲しいことがあった。だから今はっちゃけられる。って。なるほどなと思いました。でもこれ、あの震災の1年あと。うーん。この上から見た。ここへ行く。」と当時を思い出して笑顔になる正平さん。
そして、今回のルートを確認。
2012年のルートは、丸森から電車に乗って矢本駅で降り、日和山へ行ったとか。
今回はその矢本駅に近い場所にいるので、2012年と同じルートで日和山へ行くことになりました。
ブルーインパルス整列
田園風景を走行中、正平さんが何かに気付いてストップ。
田園風景の向こう側、右側に前日飛行していたブルーインパルスが地上に5機横に並んでいるのが見えました。
キレイに整列していて、壮観でした。
しばらく眺めてまた走り出しました。
飛行している姿もカッコいいですけど、止まって整列しているのもカッコいいです。
住宅街を走っていると、左側に矢本駅がありました。
カメラマンさんの新井さんが赤い屋根の矢本駅をバッチリカメラに収めて、前回のルートを走り出しました。
ランチも前回と同じ店
矢本駅を過ぎて走っていると、レストランぱらだいすの前に到着。
予約済みです。
「思い出した!」と嬉しそうな正平さん。お店の方も喜んで迎え入れてくれました。
お店には、『こころ旅』の手ぬぐいと、正平さんとお店の方が笑顔で写った写真が飾られていました。
注文は前回と同じナポリタン。
ケチャップの色が濃かったです。
正平さんは一口食べて「思い出した。」と言いながら、いつものタバスコでむせるのを「もったいない。」とためらいます。
でも「芸ですからね。」と笑うスタッフさん。
「芸じゃねえよ!こんなの。みんなむせる…むせないの?」と笑って返しながらもしっかりタバスコをかける正平さん。
近所ならみんなむせてるとやり返します。
「むせないぞ。」と言って食べて、軽くむせてました。
食後。
サインを書きながら「ご主人。またまた来たよ。もう来ねえ。って書いとく。しゃれになるでしょ?」と言って笑わせる正平さん。
お店の御主人は「途中通った時には必ず寄っていただければ…。」と返していました。
宮城の方に冗談は通用しませんよ!
正平さん!!
お店の前に置かれていたスプーンを持った男の人の形をした陶器の飾り物。
津波が来た時流れて行ってしまって、この間の地震もひっくり返って、4回直してある置物なんだそうです。
最後はお店の前で記念撮影をしていました。
また写真が増えました!!
長いこと番組をやっているとこうやって増えて行っていいですね!
真っすぐな道を進む正平さんたち。
風の音がものすごかったです。
とここまでが『朝版』です。
『とうちゃこ版』では、10年前に日和山へ行った時のお手紙も朝に読まれていました。
その時のお手紙の主も、今回のお手紙の方と同じ日和山の近くの女子高出身の方からでした。
10年前も、今回の方も同じ高校出身の女性の思い出の地でした。
がんばろう!石巻
日和山へ向かうまでの道。
石巻市に入る橋を渡る時、10年前仮の橋だった映像と比較していました。
もがれてちぎれるようになっていた10年前の橋。
現在は平成31年1月に完成した新しいじょうかわおおはしでした。
10年前。仮の橋を渡る時は正平さんチャリオを押して歩いて渡っていましたが、今回は強い風の中、チャリオに乗って渡っていました。
左側に、高い建物が建っているのを見て、後ろから正平さんに「避難用の高台ですかね、あれ。このビル。」声をかけるスタッフさん。
石巻港排水ポンプ場(今年度完成予定)津波の避難場所としても活用される
と字幕が出ていました。
もう流されないように、生き延びられるように高台を造っておく。
10年前には無かった建物です。
道を進んでいると、右前方に『がんばろう!石巻』と書かれた大きなプレートが見えてきました。
こちらは2012年110日目の旅でも、あったものです。
手前には『石巻南浜津波復興祈念公園』と書かれた看板が立っていました。
看板の後ろの方には、長い防潮堤が出来ていました。
景色が変わっています。
こころの風景
景色が変わったのを確かめた後、防潮堤を背に上り坂を上りだしました。
10年前ものぼった坂道。
「あの時僕は~若かったぁ。」と歌い始めた正平さん。
けどすぐに「若くもねえっつうの!62~3だよ!」と自分でツッコみました。
62歳から始めた『こころ旅』。2012年は正平さん、63歳になる歳でした。
「過酷やわ。」と上り坂を息を切らしながら登り、途中で止まって休憩。
そしてこれから行く道を見て「学校右手にあんだよな。それから回り込んで左。」と10年前に走った道を覚えていた正平さんです。
休憩を終えて再び走り出すと、言っていた通り学校が見えてきました。
石巻市立女子高校。
今は桜坂高等学校となまえが変わってるみたいです。
最近、生徒数が減って来たからか、学校の統合が各地でありますね。
石巻市立女子高は石巻市立女子商業高校を普通科の女子高として統合。桜坂高等学校となったそうです。
校舎がピンクの縁取りがされてかわいい校舎です。
正平さんは、10年前は女の子たちが歩いていたと振り返りながら走りました。
高校の校舎の近くを通過すると、すぐに公園の入口になりました。
チャリオはここまで。とうちゃこです。
ここからは歩いて公園内に入りました。
公園内のベンチがあるところまで上がり、南浜の海の景色を見ました。
南浜マリーナとなっていました。
神社の鳥居もありました。
お手紙に同封されていたお子さん2人の写真を見て、景色を確認。
10年前に高校生たちとお参りした神社も確認。
10年前お参りした風景と、記念撮影をした映像も放送されていました。
正平さんはベンチに座り、お手紙を読みました。
お手紙を読み終わった正平さんは「世知辛い世の中ですが、笑顔を忘れずに頑張って行きたいです。あん時のまんまや。よう笑うてたもんな。えらい!頑張りや。フフ。ちょっと気になることがあって。もうお子さん二人いて。おませだよね、ちょっと。なんか2~3年したら、NHKにもう1通手紙が来て、やはりシングルマザーになりました。でも日和山の景色は変わりません。とか言って。もう来るの嫌やで、俺。きつかったんやから。それが心配でな。」といらん心配をしてました。
何言うてんねん!!!
大丈夫ですよ、きっと。
でもまぁ、確かに25歳でお子さんもう結構大きかったので、テレビを見てたおばちゃんもびっくりしたわ…。
でも…嬉しいじゃないですか!
テレビに出ていた子たちの成長が見れて、もう今やお母さんかぁ…。
元気でよかった。
変わっていく景色に、変わっていく人たち。
時間は流れている。
10年って。学生さんが卒業して結婚して子供さんが生まれてる時間なのか…。
早いなぁ…。
時間の流れを実感した今回の旅でした。
過去の旅をこれだけがっつり振り返る回って今までなかったですよね。
しかも同じルートって。
珍しい回で、驚きました。
宮城県の旅でめぐる町
宮城県の旅でめぐる町は、NHKのホームページの番組表によると…
- 6月14日…七ヶ宿町
- 6月15日…山元町
- 6月16日…東松島市
- 6月17日…石巻市
の放送でした。
次の週は、岩手県の旅です。
『こころ旅』の放送時間は?
朝版は、月~金の朝7時45分から15分。月曜はその週のダイジェスト。本番の旅は火~金に放送です。
とうちゃこ版は、夜7時から30分。火~金の放送です。
再放送は?
朝版の再放送は、同じ日の朝11時45分から。
とうちゃこ版は、土日の朝11時から2日分ずつ放送。
土日の再放送の時間は、変更されることがあるのでご注意ください。