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ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「皇女和宮」観た感想。岡田准一司会のドキュメンタリー

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NHK-BSプレミアムで、毎週木曜夜9時から「ザ・プロファイラー~夢と野望の人生」が放送中です。この番組は2012年から続く、岡田准一さんが司会のドキュメンタリー番組です。今シーズンは10月4日からスタート。season7になります。

歴史上の人物を取り上げて、その人の人生を深く掘り下げる番組です。ゲストを招いて人物像に迫ります。ゲストによって、取り上げられた人物に対する見方が違うので、今までの評価と違う視点から歴史上の人物がみられる、面白い番組です。

 

 

今回取り上げた人物は「皇女和宮

今から156年前の幕末、孝明天皇の妹和宮と、時の将軍徳川家茂の結婚という、世紀のロイヤルウエディングが、歴史を大きく動かしました。京から江戸へ向かう華麗な花嫁行列は、日本中の注目を集めました。

総勢2万5000人。50キロにもなる行列で、江戸に入るまで25日かかったといいます。しかし、当の和宮の心は晴れやかではありませんでした。「住みなれし都路出でてけふいくひいそぐもつらき東路のたび」と歌に詠むぐらいでした。

今回の和宮の回では、ゲストに俳優の竹中直人さん、藤原紀香さん、精神科医香山リカさんを招いていました。

 

テーマ1:和宮天璋院はなぜ対立したのか?

話は、大奥での和宮篤姫の対立和宮が大奥に入る際の、篤姫への贈り物の目録の宛名を天璋院へ」と呼び捨てに書いて送ったり、篤姫は、和宮との対面の時に、自分だけ敷物を敷いて、和宮には畳に直接座らせたことを紹介。

「御風違」和宮のお付きの人が残した日記に書かれてあった、和宮の御所風と、篤姫武家風の違いスタジオでは、実際に御所風と武家風の着物を纏った女性に並んで立ってもらって見比べていました。

着物はもちろん、髪型、化粧の違いもはっきりしていて、御所風はおしとやか、武家風はおしゃれ、という違いがありました。竹中さんは御所風が好みだと言っていました。

実際どんな格好をしていたのかを目にすると、なんとなくその人の雰囲気を感じることが出来ました。

紀香さんは、御所風の否定を自分自身の否定、天皇家の文化も否定もされていると感じたんじゃないか。受け入れ難かったんじゃないか。」と言ってました。

岡田さんは二人の対立を「まだ和宮の意地を感じる。自分のルーツというか、こうプライドとか譲れないもの。」と和宮を評し、折れたくない若さを感じると言ってました。

若いってのはありますよね。実家から離れてすぐの時はどうしてもガチガチですからね。外のことを知って、だんだん変わっていくものですから。

こんなおとなしそうなメイク、衣装で武家の女の頂点の、大奥で果敢に御所の女として戦おうとしたんですから、根性ありますよ!

 

夫、家茂の愛で成長する和宮

嫌々結婚した和宮でしたが、そんな頑な和宮を変えたのは、和宮と同い年の夫、家茂でした。家茂は家臣に「和宮を本当に大切に思いたい。そうすれば幕府と朝廷も、自然と上手くいくはず。表だけ飾るのではなく、心から親しい間柄でいたい。」と言い、和宮の事を「宮様」と呼んで、皇女として扱ったそうです。

香山さんもおっしゃってましたが、大奥で否定された和宮は、この全肯定してくれる家茂の態度は嬉しかったと思います。

結婚して2か月後に、和宮が家茂の乗馬を見学。その日は一夜を共にし、次の日に家茂は和宮に金魚をプレゼント。

和宮が和歌を贈れば、べっ甲のかんざしを家茂が返す、といった交流がふたりの夫婦関係の親密さを深めていったそうです。

そんななか、浜離宮に家茂、和宮夫婦と篤姫が訪れた時のこと。3人が庭に下りようとするとなぜか家茂の草履だけが、踏み石の下に置かれていたそうです。

和宮はそれを見てポンと庭に飛び降り、自分の履物を下ろして、家茂の履物を石の上に置いたそうです。かつての和宮からは想像できない行動。それ以降、篤姫とのいざこざもなくなったとのことです。

結婚後1年が過ぎた頃、江戸城で大火事があった時の事を、和宮が京の親族に宛てて絵図を描いて送っていました。それは文章を書き綴ったものではなく、イラストを交えてコミカルに描いていました。

竹中さんはこの和宮の戯画を見て、「このタッチはお茶目ですよね。この筆線は、本人の資質が出てる。」と評し、紀香さんは「こんなに細かくちょっと笑い、いっぱい笑いを持たせて、可愛らしくコミカルに描くっていうのは、ちょっと関西のノリを感じる。関西のノリを感じながらも、心配りが…。知らせる、そして本当に大丈夫なのよってちょっと笑いをつける。二重の心配りがなんか温かいものを感じますね。」とおっしゃいました。

私は、紀香さんの言ったこと、確かにそうだなと思いました。和宮さんの絵、面白かったです。書いたものに人間性ってにじみ出ますよね~。なんか親しみがわきます。

 

家茂の死

反幕府勢力を押さえ込むため、家茂は京へ自ら出向きます。家茂は江戸と京を何度も往復して、無理がたたって脚気になってしまいました。和宮は、不在の間、家茂の無事を祈り、お百度参りをしたといいます。

しかし、家茂は21歳の若さで亡くなり、和宮のもとには、家茂の亡骸と西陣織が届けられました。

「空蝉の唐織ころもなにかせん綾も錦も君ありてこそ」と、どんなに美しい織物もあなたがいなければ、何の意味もない、と歌に詠んだのでした。

結婚して4年。夫婦として一緒にいられたのはわずか2年余りだったそうです。

 

テーマ2:なぜ、徳川家のために命をかけた?

最愛の夫、家茂を失くした和宮。この時21歳でした。江戸に留まる理由もなくなりました。この時、慶喜大政奉還で幕府は消滅。徳川は滅亡の危機でした。実家の天皇家と、嫁ぎ先の徳川家の間で板挟みになって苦しむ和宮でしたが、京に戻らず、江戸に残り続けました。

 

慶喜との面会を拒否、篤姫が仲介

鳥羽伏見の戦いで負けた旧幕府軍慶喜が朝廷と和平を結ぶため、和宮に泣きついてきました。和宮は、何の相談もなしに幕府を終わらせた慶喜との面会を拒否。仲介役をしたのはなんと、篤姫でした。

同じ大奥にいながら、交流のなかった和宮篤姫でしたが、家茂亡き後、早くに夫を亡くすという同じ境遇の二人の仲は深まっていました。

慶喜から事態の解決を頼まれた和宮篤姫。徳川家の命運は土壇場で二人の女性に託されました。

和宮天皇家と徳川家の板挟みに苦しみながらも「後世まで清き名を残したい。」と行動することにしました。ここからの和宮の動きは素晴らしかったです!嫌々嫁いできた、か弱い皇女の姿がありませんでした。

 

新政府軍に手紙、無血開城に貢献する

慶喜江戸城を去り、残された数百人の大奥の女性達に「朝廷から寛大な処置がもらえるよう謹んで行動するように。万一、心得違いのものがいれば、徳川家もこれ限りとなります。」と言い聞かせます。

江戸城総攻撃があと4日と迫った3月11日。和宮篤姫は最後の訴えをします。篤姫西郷隆盛に、和宮は新政府軍の総督に直接手紙を書きました。

1868年4月11日。新政府軍との和平が成立。徳川宗家の存続も約束されました。

なぜ、和宮が徳川家に命を懸けたか?ゲストの人たち皆それぞれ、意見をおっしゃってました。が、私は岡田さんの言葉が一番グッときました。

嫌々の結婚も、朝廷と幕府の橋渡しのため、花嫁行列で心から祝ってくれた民のため、16歳の少女が自分で決意したことです。

一回決めた事を変えないでいれる人っているじゃないですか。(中略)逃げない強さを持っていますよね。」と岡田さんはおっしゃっていました。

「逃げない強さ」いい言葉でした。私もその強さが欲しいです。

今回は、「皇女和宮」を深く掘り下げてみていきましたが、非常に見応えがあって面白かったです。

 

全体を通しての感想

和宮の人間らしさがみられて、ドラマでみたイメージとは違い、もっと身近に感じました。和宮への感想も、ゲストの方々それぞれの視点が違うので、新鮮でした。

再放送は、毎週水曜夜6時からなので、見逃した方!一度ご覧になって下さい。

「皇女和宮」の再放送は、10月10日午後6時からです。御所風と武家風の違い、直筆の手紙など、「人間和宮」を感じられるので、オススメです

今回、書きませんでしたが、明治維新後の和宮のことも番組で紹介しています。これがまたいい話です。

今まで篤姫派でしたけど、一気に和宮という人が好きになりました。

あまり話すイメージのない、岡田准一さんの考え方も聞けるのも面白いですよ!