BSプレミアム『にっぽん縦断こころ旅』2022年秋。放送中です。
『にっぽん縦断こころ旅』は、俳優の火野正平さんが視聴者の方のこころの風景を自転車でめぐる旅番組。
12月19日~12月23日は鹿児島県の旅です。
- 1155日目、鹿児島県4日目は、秋の旅最終日・鹿屋市への旅
- お手紙の内容
- しょうがシロップの差し入れとランチの鹿屋カンパチ
- 薩摩あげの差し入れ
- 大隅野里駅跡に到着
- アンケートを取る正平さん
- 霧島ヶ丘公園から再スタート
- こころの風景
- 鹿児島県の旅でめぐる町
- 『こころ旅』の放送時間は?
- 再放送は?
前日、鹿児島県の3日目肝付町の旅を見た感想はこちら。↓
鹿児島県・月曜朝版の感想はこちら。↓↓↓
1155日目、鹿児島県4日目は、秋の旅最終日・鹿屋市への旅
12月23日放送分鹿児島県4日目は、「秋の旅最後、というか今年1年最後の日だよ。」という正平さんの言葉で始まりました。
オープニングの場所は、鹿屋市の鹿屋中央公園。
鹿屋市の中心街が見える場所。
前に鹿屋に来て、トンカツを食べた覚えがあると言う正平さん。
2013年の春の旅で、宇宙空間観測所に行った時の旅でしょうか?
その時の旅と同じカメラマン・ジュンさんと監督さんで、今回の旅に行くそうです。
今週のクラシック版で放送されていましたね~!
この旅の様子は、公式ホームページに載っていました。↓↓↓
https://www.nhk.or.jp/kokorotabi/route_nclub/20130404/
お手紙の内容
今回のお手紙は、鹿屋市の71歳の方から。
投稿してはボツの繰り返しだったというお手紙の方。
再放送の『芋たこなんきん』で、職業・流れ者の火野さん扮する昭一兄貴を見て、続いて『こころ旅』を見たていたら、5月10日に2022年秋の旅決定!と聞き、もう一度出そうと奮い立ったそう。
お手紙の方より2つ年上の正平さんの「気力体力。冗談を言いながらやり切る実行力」に圧倒されているとのこと。
<それを読んだ正平さん「そんな大したもんやないよ。冗談言いながらやないと面白くねーもん。」>
こころの風景は、鹿屋市の浜田海岸です。
60年ほど前のお手紙の方の家の恒例行事で出かけていた場所。
お手紙の方のお父さんは、満鉄勤務中に現地招集。終戦後シベリア抑留されました。
4年ほどの辛苦の末、出身地の鹿児島県指宿市に帰ってきた。
が、世間の目は抑留中にスパイになったから帰国できたのでは?と疑われ、嫌気がさしてツテを頼って錦江湾の対岸・大隅半島の鹿屋に渡り、お母さんと結婚。
<正平さん「そんなこと言われる時代だったんだな。」>
満鉄時代に身に着けた電気工事士の資格で電気工事の会社に勤務後、お手紙の方と妹さんが生まれると、少しでも稼ぎを増やそうと、自営業を始めたそうです。
最初は門外漢の花屋。そして本業の電気工事業。
生活は楽ではなかったと思うが、お手紙の方たちきょうだいのために、夏休みになると必ず浜田海岸の海水浴場へ連れて行ってくれたといいます。
1泊2日の短い休みだったが、汗まみれで土日もないくらい家族のために頑張っていたお父さんにとって、大事な休息だったのでは?というお手紙の方。
今思えば、浜田海岸のちょうど向かいが指宿市。お父さんの実家がある辺り。
干潮に合わせて海岸近くの川にゴカイをとりに出かけ、満潮になったら台湾リールをつけた竹竿でキス釣りに興じる。
お盆の頃増え始めるクラゲに刺されて痛がりながら泳ぐ。疲れたら釣った魚や持参した野菜を食べる。
贅沢ではなかったけれど、楽しい時間を懐かしく思い出すそうです。
お父さんは、2019年の11月に亡くなったそう。
元気なうちに一緒に浜田海岸でキス釣りをしてやれたらよかったと後悔しているというお手紙の方。
正平さんに、浜田海岸の松林の前の海岸まで出て、指宿の知林ヶ島(ちりんがしま)や魚見岳(うおみだけ)を見てもらいたい。
魚見岳の右裾あたりにお父さんの実家がありました。
鹿児島の放映は12月中旬。コロナ禍が収まってくれていることを祈っています。
…というお手紙でした。
お手紙を読んだ正平さんは「知林ヶ島、魚見岳。これね、よーく知ってるんです。俺。魚見岳は何回あがったか分からない。魚見岳の上から指宿がファーッと見えるんです。」と言っていました。
よく知ってるんですね!!!今回はその対岸の浜田海岸です。
地図で目的地を確認。
今回のルートは、まず自衛隊の基地に沿って南・大隅線の廃線跡を使ったサイクリングロードを走る。
昔の野里という駅跡でチャーターしたバスに乗り換え、霧島ヶ丘公園まで山越えをする。
そして霧島ヶ丘公園からチャリオにまた乗って目的地に行く。
ーーというプランを監督さんから説明されていました。
なんだか、秋の旅最終日は大型企画といった感じです!
しょうがシロップの差し入れとランチの鹿屋カンパチ
まずは約7km先の大隅野里駅跡を目指して出発。
下り坂を下り、鹿屋の街へ。
川沿いを走り、大きな道路に出てお昼ご飯を食べるお店に着きました。
正平さんが「こんにちは!」と店内に入っていくと、先にお店にいたお客さんが「おー!」と正平さんを見てびっくり!
その男性は「NHKBS!」と言い、隣にいた女性は手を叩いて喜んでらっしゃいました。
正平さんが個室に入ると、先ほどの男性からしょうがシロップの差し入れが。
しょうがシロップを作ってらっしゃる方たちでした。
男性は「しょうが農家の61歳おっちゃんと…。」と言い隣の女性が「来年還暦・おばちゃんです。」と自己紹介。
正平さんが「どうやって飲むのが一番いいですか?」と質問。
男性は「しょうが1にお湯を6にして、毎朝のむ。」と飲み方を教えてくれました。
「ありがとうございます。わーショウガ嬉しい!」と喜ぶ正平さんです。
しょうがシロップ、初めて聞きました。
美味しいんだろうな~~~。
正平さんは、鹿屋カンパチのどんぶり、ご飯少な目でお願いしていました。
まずカンパチを先に食べた正平さんは「わーコリコリ。うん。美味しい!」と絶賛。
パクパク食べていました。
キレイに盛られていて、美味しそうでした。
薩摩あげの差し入れ
食後。
お店の前で休憩していた正平さんに、先ほどとは別の男性が紙袋を持ってこられました。
正平さんは「イエー!」と言ってその紙袋を受け取ります。
男性は、薩摩あげを正平さんに差し入れてくれたのです。
「ゲット!」と喜ぶ正平さん。
男性と握手をして、ちゃんと消毒も済ませると、男性は「まだこれから、番組楽しみにしてますから。」と言ってくれたのに、正平さんは「いや、もう終わるんです。これで。」と答えます。
「えー!そんなこと。ちょっとだけムチうって頑張ってください。」と言われ、笑う正平さんでした。
終わるって、今回で秋の旅最終日だから言ってるだけですよね??
でもま。ずっと続くわけではないだろうし、それが今年っていうのは寂しいな。
大隅野里駅跡に到着
そして出発。
山の方へ走っていくと、鉄道橋という鉄道の名残が出てきました。
道は、自転車歩行者専用道路(フィットネスパース)へ。
ジョギングしている男性とすれ違いました。
右側の植え込みの後ろが自衛隊の基地なんだそう。
自転車道を進んで行くと、公園に立っていた女性たちが道沿いに並んで、正平さんに声援を送ってくれていました。
照れる正平さん「こんにちはー!鹿屋どういうとこや。」と言います。
すると、『大隅野里(おおすみのざと)』の駅名標が道沿いに立っていました。
右が鹿屋方面で、左が大隅高須方面です。
ここで、チャーターしたバスを待ちます。
アンケートを取る正平さん
バスを待つ様子は、『とうちゃこ版』で放送される予定。
…とここまでが『朝版』です。
『とうちゃこ版』では、大隅野里駅跡でバスを待っている時間で、女性たちに質問しているところが放送されていました。
正平さんが、女性たちに「ここらでアンケートを取ろう!この番組面白いですか?」と聞くと「はい!」と声を揃えて答える女性たち。
「どこが面白いの?」
「正平さんの話が面白い。」
「文句ばっか言ってるのに。」
「テレビが楽しみやんな~。」「楽しみです。」
「ふーん。」
「色々詳しいし!」「いつ放送なの?」「動物も好きなんですね~?」
「まぁね、でもこれが一番好きです。」小指立てて答える正平さん。
「ははははは!」一斉に笑う女性たち。
「動物100とこれひとりぐらいで。」と言ってさらに笑わせます。
女性とのスキャンダルが騒がれていた時も、こうやって答えていたのかな??
マツコ有吉の番組の、昔の番組を見るという企画で、正平さんが芸能記者に囲まれてブツブツ答えているところが放送されているのを見たことがあります。
が、こんな楽しそうではなかったです。
でも、若い時の正平さんと今の正平さん。キャラクターは変わってなかったです。
話は戻って。
ブルーの鹿児島交通さんのバスがやってきました。
正平さんより先にチャリオが乗せられました。
正平さんがもバスに乗り込んで窓から手を振ると、さきほど楽しくお話をした女性たちが「頑張ってください!」と見送ってくださっていました。
きっと、バスが来るまでゆっくりお話が出来たんでしょうね~。
その輪に入りたいな~~。
鹿児島だったら、会えるチャンスが高いのかも!!
バスは、2.5km先の霧島ヶ丘公園に向かって出発。
長い上り坂が続きました。
バスで長い道を見ながら正平さんは「10年ぐらい前はありましたよね。平気で。」とつぶやくと、スタッフさんが「まさかあの頃から思うと、バスで上がるなんて夢にも思ってなかった。」と返します。
もしチャリオで上ってたら…と想像し、「まだあるよって言ってた。」と笑ってました。
リクエスト版を見ていたら、30kmとか普通に一日で走ってましたよね。
朝早くから、暗くなる時間まで走ってらっしゃった気がする。
夕日の手紙も多かったし、朝日の手紙もありました。
その時間に合わせて前の晩から移動したり、すごい番組でした。
霧島ヶ丘公園から再スタート
霧島ヶ丘公園に到着しました。
一番高い場所で下ろしてもらい、チャリオに乗り換えて出発。
下り坂を下り始めると、女性4人組が待ち構えてらっしゃって「頑張ってください!」と声援を送ってらっしゃいました。
正平さんは「また!どんなんなってるの?鹿屋。」と照れ笑いしてました。
秋の旅最終日・鹿屋市!
熱烈な応援が続く街ですね!!
熱い!
下り坂を道なりに進んで行きます。
交差点を過ぎ、木々に囲まれた道を過ぎると、右側が開けてきました。
「うわー!キラキラ!」と感動の声を挙げる正平さん。
海が陽に当たってキラキラと輝いていました。
美しい!!
海が道路の横に見えてきて、浜田町に入りました。
右に見える海は浜田浜?
こころの風景
右側にある駐車場に入り、とうちゃこ。
正平さんは
「淳さんこっから見るとですね。お手紙の、あの手前がこんもりしてるの、知林ヶ島で、その向こうにちょっと高いの見えるでしょ?あれが魚見岳。その左上が開聞岳。」と説明。
手前にある島が知林ヶ島。その奥の平らに見える山が魚見岳。その奥のとんがった形をしているのが開聞岳。
番組では、映像に名前をつけてくれていました。
「で、お手紙の実家は、魚見岳の右裾って言ってたから、その右。」とお手紙の方のお父さんの実家の位置も説明していました。
正平さんは、歩いて海岸に下りました。
広い砂浜に、海の水が流れてきて川のようになっていました。
砂浜をゆっくりと歩く正平さん。
海の水に太陽の光が反射してキラキラとキレイでした。
波が引いたあとの砂も、キラキラとキレイ。
松林まで歩くと「来たよ!」とお手紙の方に話しかける正平さん。
松林の下にある階段からも、魚見岳、知林ヶ島がよく見えました。
正平さんは、松林のそばに座りお手紙を読みました。
お手紙を読み終わった正平さんは「手前が知林ヶ島。で向こうのうすいこんもりしたのが魚見岳。だからあの魚見岳の右裾辺りが実家。魚見岳の向こうに指宿の街があるはずです。」と説明。
「いや~今日は。今週、最初。雨風で寒かったのが、一日一日あったかくなって。こんなポカポカ陽気になっちゃった。最後だから頑張れって言ってくれたのか、天気が。さて、ちょっと冬眠に入ります。アルバイトで、役者の仕事あればいいのにな。また会えたらいいな。ずっと見てくれてありがとね!」と言って番組が終わりました。
またまたこれで終わりそうな挨拶。
いつでも終わるような感じを漂わせるんですよね、正平さん。
いつ終わってもいいようにコメントしてるのかな?
2020年の終わりが一番終わりそうだったし、1000回を突破した2021年も可能性はあった。
終わるとしたら1000日を突破した時だったとは思うけど。
さぁ、どうなるんでしょうか。
2022年秋の旅。
お天気のいい日が多くて、高知では暑くて大変な日まであって。
広島では正平さんのこころの風景まで見れました。
九州に入ったら、ばんぺいゆを何度も見て。
途中、風で大変な日も坂に苦しめられる日も何度かあったけど、楽しい旅を見せてもらいました。
正平さん、チャリオくん、スタッフの皆さん。
楽しい旅、しんどいところもしっかりと噓なく放送していただき、テレビの前の私も一緒に旅している気分になりました。
楽しい放送、ありがとうございました。
ゆっくりと休んで、できればまた旅を見せてください。
3ヶ月間、お疲れ様でした。
鹿児島県の旅でめぐる町
鹿児島県の旅でめぐる町は、NHKのホームページの番組表によると…
- 12月20日…いちき串木野市
- 12月21日…霧島市
- 12月22日…肝付町
- 12月23日…最終日
の放送でした。
『こころ旅』の放送時間は?
朝版は、月~金の朝7時45分から15分。月曜はその週のダイジェスト。本番の旅は火~金に放送です。
とうちゃこ版は、夜7時から30分。火~金の放送です。
月曜のとうちゃこ版の時間は、これまでの旅のリクエスト版。クラシックの放送です。
再放送は?
朝版の再放送は、同じ日の朝11時45分から。
とうちゃこ版は、土日の朝11時から2日分ずつ放送。
土日の再放送の時間は、変更されることがあるのでご注意ください。