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100分de名著 夏目漱石スペシャル 第3回「道草」を観た感想

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毎週月曜夜10時25分から放送中の「100分de名著」。3月は夏目漱石スペシャルで4作品を紹介しています。3月18日放送分は「道草」を取り上げていました。晩年の漱石が書いた自伝的小説です。

今回の指南役も東京大学教授で英文学者の阿部公彦さんでした。

「道草」は胃弱小説

阿部公彦さんは、「道草」を胃弱小説と分析。闘病生活を描いている…という意味ではなく、作品全体が胃弱のようにできているというのです。

  • いつまでたっても治らない
  • 過去に食べ過ぎたなどの昔のことが今に影響を及ぼす

これらが表現されているのでは?とおっしゃっていました。

 

ある日小雨が降った。

その時彼は外套も雨具も着けずに、ただ傘を差しただけで、何時もの通りを本郷の方へ例刻に歩いて行った。

すると車屋の少しさきで思い懸けない人にはたりと出会った。

彼は知らん顔をしてその人の傍を通り抜けようとした。

けれども彼にはもう一遍この男の眼鼻立を確かめる必要があった。

それで御互が二三間の距離に近づいた頃又眸をその人の方角に向けた。

すると先方ではもう疾くに彼の姿を凝と見詰めていた。

彼はこの男にもう何年会わなかったろう。彼がこの男と縁を切ったのは、彼が二十歳になるかならない昔の事であった。

その日彼は家へ帰っても途中で会った男の事を忘れ得なかった。

隙さえあれば彼に近付こうとするその人の心が曇よりした眸のうちにありありと読まれた。

健三の胸には変な予覚が起った。

とてもこれだけでは済むまい

 

今回の朗読も俳優で演出家の長塚圭史さんでした。

この部分の朗読が終わり、伊集院光さんは「いや~な感じ。「胃弱」の意味がすっと入ってくるのは、病院に行くほどではないんだが…。ていう…。」と、作品の印象を述べられました。

阿部さんによると、「嫌なんだけど逃げられない距離感」とのことで、もし嫌悪感や恐怖感だけなら逃げればいいが、不思議な距離感なので逃げられない。

だからこそ感じる気持ち悪さ。

 

ーーーー

なんだか異様な感じから始まりました。朗読部分だけでもう嫌な感じが伝わってきます。緊張感も伝わってきました。

 

健三に反映された漱石の境遇

主人公の健三が出会った男は養父。元養父の島田です。健三は昔に養子に出されていたという設定です。

夏目漱石と健三の重なる部分

  1歳 養子に出る

  9歳 夏目家の戻る

21歳 夏目家に復籍

42歳 養父が金の無心にくる⇒絶縁

 

9歳の時に養父母が離婚したためやむなく夏目家に戻されたものの、籍は養子先のままでした。

 

人は嫌な部分を読む事で気持ちが収まる?

そういう漱石自身が感じた嫌な部分を多く書いているのが「道草」。

阿部さんによると、嫌な事を書いている小説は多いとのこと。では何故人は嫌な事を好んで書くのか?

小説でなくても、人は嫌な事を話す事で何となく心が落ち着いたりするのだといいます。

 

阿部さんの話を受けて伊集院さんは「作品化することでなんか収まりがつく。」と理解を示してらっしゃいました。阿部さんは伊集院さんの「収まりがつく」という表現が「ちょうどいい」とおっしゃっていました。

読むほうも救われる。なぜ人の嫌な話を読むのか?

“嫌な話”を読む事で救いを得たり、喜びを得たり、癒しを得たりする人がいる。

 

漱石にとっての蓄積された「嫌なもの」に「元養父」という「形」が与えられて表現できた。

 

ーーー

嫌なものの根源が養父だったんでしょうね。小さい時に一緒に過ごした人の方が実家の人たちよりも関係が深かったのでは?と想像しました。

反抗期だって、関係性の薄い人には向かって行かないと思うんです。

だから嫌なものっていうか、漱石にとって思春期に反抗したかった人が養父だったんでは?と思いました。反抗期に反抗できなかったのが蓄積して、大人になって作品にぶつけたのでは?と思いました。

 

養家と実家に翻弄された漱石

漱石は、21歳の時に彼の上の兄弟が亡くなり、仕方なく戻っていた夏目家に取り戻される形で夏目家に復籍したのです。

養父母にしてみれば、漱石を大事にすることで将来自分たちを見てもらおうと思っていたので、これまでの投資は?となったそうです。お金の問題が浮上してきたのです。

伊集院さんはこの話を聞いて、人身売買のように両家が漱石を売り買いしてるように感じ、不快感を表してらっしゃいました。

阿部さんによると、これらの事情が漱石の世界観のもとになっていると推測されていました。

養子に出て戻ってくるというややこしい事情が、一度で済まず、少しずつ時間をかけて行われたことで、いつまでも尾を引く形で影響を及ぼした要因ではないか?と阿部さんは分析。

漱石の中で、現実世界が慢性病のようにいつまでも過去がつきまとう感覚。がこれらによって育まれていったのでは?と推測されていました。

 

ーーー

確かに、一番多感な時期に自分の意思とは関係なく、居場所をコロコロと変えられて、でも居場所を変えられたからといって、会える距離に養父母がいれば、戸籍上他人となったとしても気持ちの上では切れないですよね。

自分のせいではないのに、なんか申し訳ない気持ちになって逃げられない。。という気持ちがなんとなく分かります。

 

健三の幼少時代

健三は養父母に大事に育てられました。着物やおもちゃなど、高価なものを買い与えられていました。

健三は余所からもらった一人っ子として大事に扱われていたが、養父母には常に健三に対する不安な気持ちがあり、健三によく質問をしていました。

 

「御前の御父ッさんは誰だい」健三は島田の方を向いて彼を指した。

「じゃ御前の御母さんは」健三はまた御常の顔を見て彼女を指さした。

これで自分たちの要求を一応満足させると、今度は同じような事を外の形で訊いた。

「じゃ御前の本当の御父さんと御母さんは」

健三は厭々ながら同じ答を繰り返すより外に仕方がなかった。然しそれが何故だか彼等を喜こばした。彼らは顔を見合せて笑った。

 

朗読が終わると、伊集院さんは「お見事!嫌な感じです。」と言い、この養父母とのやり取りを、「素敵なシーンとして書こうとすれば書けるのに、とても嫌なストレスのたまる…。」と感想を述べられていました。

阿部さんは、この文から嫌な感じを受けると同時に、健三がそう解釈していると分かるように出来ていると分析。島田がどうこうより、健三が嫌なものとして感じ取ってしまう感受性が出来上がってるとおっしゃっていました。

 

ーーー

そうなんですよね~。言葉って感情も同時に伝わりますよね~。

私は、健三はこっちは嫌がってるのに、向こうは喜んでる。という言い方が特によく分かるなぁと思いました。冷静に大人を見つめてますよね。

こんな幼い頃から、養父母を一歩引いた目で見てたんでしょうね…。頭のいい子です。

 

妻と健三の関係

ある日健三は風邪で寝込みました。高熱が出てその間の記憶がほとんどないくらい重症でした。

 

正気に帰った時、彼は平気な顔をして天井を見た。それから枕元に坐っている細君を見た。

そうして急にその細君の世話になったのだという事を思い出した。

然し彼は何にも云わずに又顔を背けてしまった。

それで細君の胸には夫の心持が少しも映らなかった。

「あなたどうなすったんです」

「風邪を引いたんだって医者が云うんじゃないか」

「そりゃ解ってます」

会話はそれで途切れてしまった。細君は厭な顔をしてそれぎり部屋を出て行った。

健三は手を鳴らして又細君を呼び戻した。

「己がどうしたというんだい」

「どうしたって、---あなたが御病気だから、私だってこうして氷嚢を更えたり、薬を注いだりして上げるんじゃありませんか。それを彼方へ行けの、邪魔だのって、あんまり……」

 

長塚さんと藤井美菜さんの朗読が終わって、伊集院さんの感想は「ありがとう」が何で言えないの?でした。

ちょっと黙り込んでしまう伊集院と安部みちこアナ。

阿部さんによると、漱石は頭が良くて理知的とみえるが、奥さんとの関係は幼児的。甘えがあるように見えるとのこと。

健三と妻のやり取りは、漱石と妻の鏡子とのやりとりをモデルにした形で、奥さんとの関係はかなり依存的に書かれているらしいです。

漱石や健三は、ちゃんとお礼を言わないといけない分かってる。でも出来ない人間なんだそうです。

どうなんだ?それ。と思いました。

付き合う側の身になって考えて欲しいですよね?ぞんざいに扱われて、全くそれに悪びれる様子が見えないのに、分かってやってる?知らんわって感じです。

 

実際の漱石の奥さんはどういう人だったのか?

漱石の妻、鏡子さんはお嬢様育ちで漱石を構わず、朝寝坊してご飯を作らなかったとかいう悪妻伝説があるらしいです。

しかし、客観的に見てみると「包容力ある面白い奥さん」で、鏡子さんだからこそ漱石が色々な意味で頑張れたんじゃないか?と阿部さんはおっしゃっていました。

漱石はかなり過剰に理屈っぽい所があり、言葉が先走る人。

対して鏡子さんは、理屈を超えた直感があって、堂々としてしぶといともたくましいとも言える人。

なんだそうです。

 

これを聞いて伊集院さんは「理屈っぽい人に理屈っぽい人は合わない。」と言い、理屈っぽくて病のようなところまでいくような漱石を、ちゃんとやり過ごせる奥さんの才能では?と言ってました。

安部アナは「鏡子夫人は立派としか言いようがないですよ!」と断言。これだけ分かってるんだったら感謝や愛の言葉を言えばいいのにって、奥さんの立場なら思うだろうとおっしゃっていました。

これは本当そうですよね!!!

私なら、小説に書いてるやん!え?知ってたの?分かってないのかと思ってた。分かってない方がこっちはまだ救われるのに。と思いますよ!!

 

養父島田との関係その後

とてもこれだけでは済むまい。と思った通り、健三は島田から金の無心をされるようになりました。

はじめは少しずつだったのが、島田の要求はエスカレートしていきました。そんな養父に腹を立てながらも断り切れなかった健三。

百円を払う代わりに、今後一切の関係を断つという書面を書いてもらいました。これも夏目漱石の実体験がもとになったもの。

健三と漱石の重なる部分の、42歳の時に養父が金の無心に来て、絶縁した。というものです。

 

番組では、漱石が養父に書かせた「離縁誓約証」を紹介していました。百円を受け取った事、一切の関係を断つことが書かれてありました。

 

「道草」での健三はこれで解決したのか?妻とのやり取りが書かれていました。

 

「まあ好かった。あの人だけはこれで片が付いて」

「片付いたのは、上部だけじゃないか。世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない」

 

この健三の言葉について阿部さんは、島田にお金をあげてしっかりと縁を切っても、それでも何か終わらないものがあるっていう感覚が漱石の現実感覚

その感覚はとても深くて、自分の存在の土台の部分を直感的に感じてる感想で、生きてることそのものが色んな事が片付かない。人間関係だけではない。自分自身ともある種の人間関係が人にはある。健三は自分自身と付き合うのに苦労した人。

それが決して片付かない。という感想に紛れ込んでいるのでは?とおっしゃっていました。

 

自分自身と付き合うのだけでも精一杯なんだから、当然奥さんのことなんて構ってられないんですかね~。

 

「道草」は、このすっきりしない感じをそのまま表現したところにスゴさがあるとのこと。

 

う~ん。

単純に私は漱石の言葉の言い回しも面白いと思います。難しい言葉遣いしてるんで、完全に何を言いたいのかまでは理解出来ませんけど、ノリで読み進められるっていうか…。読んでいて分かった気になるっていうか。

 

細君の胸には夫の心持が少しも映らなかった。

とか、背中向けて話さないから、余計奥さんには分からないってことでしょ?もっとわかりやすく言えないかな~?とか思いますけど、こうやってこねくり回したいい方がこの夏目漱石の持ち味なんですよね?

 

私もややこしい言い方をするなと言われるんで、なんだか夏目漱石の文章に勝手に親近感がわいてきました。

 

次回は最終回「明暗」です。

 

この番組にはテキストがあります。↓

夏目漱石スペシャル 「文豪」を疑う /NHK出版/日本放送協会
by カエレバ

 

 

 

「道草」です。↓

道草 改版/角川書店/夏目漱石
by カエレバ

 

 

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