毎週月曜夜10時25分~10時50分まで、Eテレで放送中の「100de名著」。2019年1月はマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」を取り上げていました。1月28日、第4回が放送されました。
100分de名著の司会は、安部みちこアナウンサーと伊集院光さんです。月に1冊、1回25分で4回に分けて一作品をその作品に詳しい方に解説をしてもらって、理解を深める番組です。
全然知らなかった作品でも、番組を見終わった後は読みたい!と思わせてくれます。
今回取り上げられた「風と共に去りぬ」が描かれたのは、黒人奴隷制度などをめぐって1861~65年にアメリカが来たの南に分かれて戦った南北戦争の時代です。
番組では2015年に「風と共に去りぬ」の新訳を手掛けた、翻訳家の鴻巣友季子さんが現在にも通じる新たな視点で、映画を見ただけでは分からない文学的魅力を話していました。
第1回「一筋縄ではいかない物語」の感想↓
第2回「アメリカの光と影」の感想↓
第3回「運命に立ち向かう女」の感想↓
今回は、最終回。第4回「すれちがう愛」という題で放送されました。
物語は2度の結婚、死別を経たスカーレットはまだ23歳でした。2で目の夫フランクの葬儀が営まれている時、突然弔問にやってきたレット・バトラーがスカーレットにプロポーズします。
レットは初めからスカーレットに惚れこんで愛して支えてきたが、この時のスカーレットは事業家となっていて、経済力を得ていたため頼ってもらえない状態でした。
その為、「結婚するしか彼女の側にいる術はないだろう。」と求婚に踏み込んだ。と鴻巣さんは解説されていました。
確かに、私も映画を観ましたが、レット・バトラーは確実にスカーレットが好きなはずなのに、なかなか結婚しないのは何故だろうと思っていました。アシュリが好きなのが分かっていたから意地で自分からは言わないのかな?とも思っていました。
スカーレットは恋愛オンチ?
プロポーズを軽い冗談だと思い、受け流そうとしたスカーレット。
「これは誠心誠意の高潔なる求婚だ」
レットの本気に気づいたスカーレット。小娘のように顔を赤らめながら答えます。
「わ、わたし、もう結婚するつもりはないの。だって、レットーあなたのこと、愛してないもの」
レットは答えます。
「だからと言ってなんの不都合がある。前二回の結婚計画でも、愛が重要だった記憶はないが」
問い詰められたスカーレットの心に浮かんだのはまたアシュリでした。
じつのところ、もう結婚したくないのはアシュリのためだった。アシュリと<タラ>、わたしはこの二つのものに属している。
そんな夢想をするうちに、本人の気づかないうちに、顔つきが変わり、レットの見たことのない柔らかさが表情にあらわれていた。
スカーレットの変化の理由が分かったレット。一瞬息をのんでから悪態をつきます。
「スカーレット・オハラ、きみはばか者だな!」
レットは、スカーレットの顔をそらせて口づけた。
「結婚すると言ってくれ!イエスと言うんだ。くそっ、さもないとー」
考える間もなく、かすれる声で「イエス」と答えていた。
番組ではここの部分を龍真咲さんが朗読していました。
鴻巣さんは、仮にも2度結婚を経験してるはずが、そういう大人の女性の成熟さとはちょっと思えないところがあると指摘。
「スカーレット・オハラっていうのは、実社会のサバイバーとか、ビジネスパーソンとしてはものすごくたくましく成長していきますよね。一方で、恋愛とかエロスの面に関しては作品冒頭の16歳の少女とほとんど変わらないという未熟さ。この小説は、世紀の恋愛小説とか言われるわけですけど実は、世紀の「恋愛オンチ」の話。が、もしかしたら正しいのかもしれない。」とおっしゃっていました。
だから強引に求婚されたんで、どうしていいか分からず受け入れてしまったってことでしょうか?
アシュリをまだ思ってるスカーレット
レットと結婚したスカーレットは、ボニーという女の子を出産。レットはボニーを溺愛します。レットはこのあと何人産んでもいいと思っていましたが、スカーレット自身は細いウエストを保ち、体型を維持したいのと、アシュリへの思いから子作りを拒否していました。
寝室も別の家庭内別居状態に入ってしまいます。
さらに!
そんな時、スカーレットはアシュリと製材所で抱き合ってしまいます。
鴻巣さんによると、恋愛沙汰の抱擁というより、「戦友同志」としての抱擁だと書かれていたらしいのですが、こういう時に限って、アシュリの妹インディアたちに目撃されていました。
このことでアトランタを巻き込む大騒動に発展。
レットは嫉妬で泥酔し、スカーレットを無理やり寝室へ連れて行きました。その後スカーレットに妊娠を告げられたレットは冷ややかに言いました。
「そうか、それで父親は?」
「あなたの子供なんて別の人ならよかったわ!」
「流産を祈るさ。」
怒りの余りレットにとびかかったスカーレットは、階段を転げ落ち、レットの言葉通り流産してしまいました。
この場面は、私も映画を観て覚えてます。
別の人を好きなスカーレットを受け入れて、それでも強引に結婚したくせに、何をやってんだと子どもながらに思ったものです。
階段から転がり落ちるシーンは本当に怖かったです。
今まで散々スカーレットを助けて来た男が、追い詰めてるんですよ!
何をやってんだと思いましたよ。ずっとカッコつけて来たレット・バトラーが、結婚した途端めちゃくちゃカッコ悪い男に変わっていくのは、観ていてがっかりしました。
メラニーとレット・バトラーの関係
ショックを受けたレットは酒浸りとなります。メラニーが慰めに来ると、スカーレットに投げつけた言葉を後悔し、泣きじゃくりました。
「わたしは犬畜生にも劣る人間だ。どうしてあんなことをしたか、あなたに分かるか?嫉妬に狂っていたからだ。わたしはいまも愛されていないし、愛されたことなどないんだ。なぜなら、彼女が愛しているのはー」
メラニーは血の気のない張りつめた顔をしていたが、憐れみに充ちたまなざしはゆるぎなく、レットの言葉をやさしく打ち消していた。
「はいはい、あなたの言うことなんて信じませんよ」
メラニーはあやすように言って、レットの髪の毛をまた撫ではじめた。
この2人のシーンについて、鴻巣さんは、レットは嫌われ者のアウトロー。かたやメラニーは社会の本流のど真ん中にいて、社交界をまとめてるような貴婦人。この二人が最も強い絆で結ばれていて、信頼し合っている関係を描いているということは、南部の同質社会の抗う一種のアンチテーゼを呈されているのでは?とおっしゃっていました。
- スカーレットの流産後
- 娘ボニーの死後
鴻巣さんによると、ボニーはスカーレットに似て勝気な女の子で、乗馬の障害物のハードルをどんどん上げていって、「これなら飛べるもっと高くして。」って言って飛んだが、飛びきれず落馬。即死だったんだそうです。
次から次へと不幸がレットを襲い、さすがに愛娘を失った時点でレットは錯乱状態に陥ります。娘の遺体を自分の寝室に置いたまま、葬儀を拒否。
その時にスカーレットの召し使いから、説得を頼まれたのがメラニーで、メラニーはレットの部屋に入ります。鴻巣さんによると、このドアが閉まってから数十分間の描写が無いんだそうです。
さらに、メラニーはボニーの夜伽の為レットの部屋に泊まります。メラニーは体が弱いので医者から夫婦生活を止められていたのですが、この2章あとで妊娠が発覚。
何故?もしかしてレットの子?
と、当時の多くの読者も考えて、今でいう「炎上」が起こり、全米から質問、苦情の手紙が殺到したんだそうです。
作者のミッチェルは答えを求められ、直接的には答えなかったが「メラニーなら、寝室のドアを開けておいたんじゃないかしら。」と言っていたとのこと。だから、やましいことはなかったということになります。
ではどうしてセックスレス夫婦に急に子が出来たのか?
鴻巣さんは邪推と前置きして「貴公子アシュリといえども、人間らしいジェラシーはあったのではないか。一晩レット・バトラーの部屋に泊ってきた妻、もちろん何もないと信じたいけれど、やはりそこは人間。何か心の動きが引き金になったんじゃないか?」とおっしゃっていました。
しかし、医者に妊娠を止められていたメラニー。2か月ほどで流産。あっという間に危篤状態になってしまいました。
永遠の別れ 結ばれる友情
しきりにスカーレットの名前を呼ぶメラニー。駆け付けたスカーレットと最後の言葉を交わします。メラニーは息子ボーの世話を託したあと、言いました。
「アシュリのことも」と、メラニーはつづけた。
「だって、アシュリとあなたはー」そう消え入るように言って、静かになった。
死にゆくメラニーを前に自責の念が芽生えたスカーレット。メラニーは自分とアシュリの関係を知っていたのではとおびえ、布団に突っ伏して嗚咽。
「アシュリのこと…」
メラニーがまたかすれ声で言ったので、スカーレットは覚悟を決めた。
最後の審判がくだる日、神さまの顔を見て、その眼に判決を読みとることがあっても、これより恐ろしくはないだろう。魂の縮みあがる思いで、スカーレットは顔を上げた。
しかし、スカーレットの目の前にあったのは、いつもの愛情深いメラニーの瞳でした。
ありがとうございます、神さま。わたしはご厚意に値しない人間なのに、メラニーに知らせないでいてくださり感謝します。
「アシュリがどうしたの、メリー?」
「彼のこともー面倒みてくれる?」
「ええ、もちろんよ。」
「あの人は風邪をーとても引きやすいの」
しばしの間があった。
「それからー事業のほうもー面倒みてあげてー分かるでしょう?」
「ええ、分かるわ。心配しないで」
メラニーは力をふり絞ってつづけた。
「アシュリはー実務に向かないの。助けてあげてね、スカーレットーでもー彼に悟られてはだめよ。」
「ええ、アシュリのことも彼の事業のことも面倒みるし、気づかれないようにする。なんなら、助言する程度にしておく」
これによって、アシュリ・ウィルクスを過酷な世の中から守る務めがひとりの女性からもうひとりの女性に委ねられ、それを彼に悟られて男のプライドを傷つけないことが約束された。
龍真咲さんの朗読が終わると、鴻巣さんは「ここ訳してて、涙が止まらなかったです。」とおっしゃっていました。
伊集院さんは「この時点で、アシュリとレットという、男・男とね、スカーレットとメラニーという女・女ね、まあ、女の方のカッコよさ、かなり際立ってるなと思いますけどね。」と感想を述べられていました。
伊集院差の話を受けて、鴻巣さんは「ここで女性同士の友情という主題が浮上してくる。」とおっしゃっていました。
しかしここで安部アナが「一つしっくりこないのは、あの鋭いメラニーが気付いてなかっただろうか、と思うんですけど。」と指摘。
伊集院さんは「アシュリのこと好きなんじゃないかなと思う。見えなくていいの。だって俺、別に自分の一番好きな人が誰のこと好きでもいいもん。」と仮説を立てられていました。
鴻巣さんは「スカーレットは何でも自分の都合のいいように解釈する人ですから、「ほんとは知ってたかもしれないじゃないの」と読者は思うかもしれませんが、もしスカーレットの勘違いなら、著者の「ツッコミ」が入るはずなんですよ。」と解説。
「メラニーは知らなかった」と解釈せざるを得ないが、「人物造形の点から腑に落ちない。」鴻巣さん。
ここでこの疑問に答えとして、ミッチェルの執筆順序を振り返っていました。
ミッチェルがこの臨終の場面から最初に書いたのは第2回に、鴻巣さんがおっしゃっていました。
100de名著 M・ミッチェル 風と共に去りぬ 第2回(アメリカの光と影)を観た感想とネタバレ - テレビ好きぴえーるの日記
最初の方で書かれた亡くなる前のメラニー像は、ミッチェルが理想とする真っ白な聖女。ところが、物語が遡るにしたがって、逆回転で書いていくうち、どんどん複雑化したのでは?と解説。
そしてメラニーは結局アシュリとスカーレットの関係を知っていたのと言うことの答えは、メラニーは何も知らないと同時に、全てを知って、全てを飲み込む「黒のヒロイン」だったというのが翻訳者としての鴻巣さんの見解なんだそうです。
ここは難しいところだと思いました。知ってるのも知らないのもどちらも正解ってことでしょうか??
ミッチェルは、スカーレットのやることにいちいちツッコミを入れてきたわけですよね?
最初、メラニーが何も知らないで死んでいく。としたけれど、そのままスカーレットを断罪しないままでいるのも著者としては気持ち悪くなってきて、「本当は知ってたんだ。」とチラつかせたくなったんじゃないかな?と思いました。
第1回目で出た、目の奥の奥の話
第1回で話が出た、レットとメラニーの初対面の時の話。レットが初対面のメラニーの「目の奥の奥」までのぞき込んでハッとしたという場面。
第4回で解説するとおっしゃってました。私も非常に楽しみしておりました。
このことについて鴻巣さんはこの目の奥の奥までのぞき込んだのは、レット・バトラー、というより、長い物語書いてきたミッチェル、だったのでは?とおっしゃっていました。
「私はなんて複雑なキャラクターを作ってしまったんだろうという風に、ハッとしたのは、レットではなく、ミッチェル自身だったのでは?」とおっしゃってました。
???
どういうこと?
第1回の放送から期待したんですが、ここに来てミッチェルの考えがレットの動作を通じて出てきたってことですか?
ちょっとよく分かりませんでした。
大事なことに気付くスカーレット
メラニーの死が近づく中、アシュリは怯えていました。
「ぼくはどうしたらいいんだ?ぼくはー彼女なしでは生きていけない!」
打ちひしがれるアシュリを見て、彼に愛されたことなどなかったと気づいたスカーレット。しかし、不思議と傷つきませんでした。
アシュリに愛されていないのに、わたし、平気なんだ。傷つかないのは、わたしも彼を愛していないから。愛していないから彼がなにをしても、なにを言っても、傷つかないんだわ。
そして最後にメラニーが言ったことを思い出すスカーレット。
「バトラー船長のことーやさしくしてあげてね。あの人はーあなたをとても愛しているのよ。」
「わたしも彼を愛してる」
スカーレットはそう思い、例によって子供がプレゼントをもらうようにさしたる驚きもなく、その事実を受けいれた。
本当に愛していたのはレットと気づいたスカーレット。走って家に帰りましたが、そこにいたのは45歳の疲れ果てた男でした。
「わたしの愛はすり切れてしまったんだ。アシュリ・ウィルクスと、欲しいものにはなんでもブルドッグみたいにかじりつくきみの気違いじみた強情ぶりを相手にするうちにね…わたしはもうここを出ていくつもりなんだ」
スカーレットは愛を訴えましたが、レットの決意は変わりませんでした。
悲しみに打ちひしがれるスカーレット。何とか立ち直るために口癖を唱えます。
いまは考えるのはよそう。スカーレットはうなだれつつ、いつもの呪文を唱えた。
「今は考えないことにしよう。わたしはーそうだ、明日<タラ>へ帰ろう」
そう口にすると気持ちがわずかに上向いた。
「とりあえず、なんでもあした、<タラ>で考えればいいのよ。明日になれば耐えられる
。あしたになれば、レットをとりもどす方法だって思いつく。だって、あしたは今日とは別の日だから。」
名ゼリフ
Tomorrow is another day. 「あしたは今日とは別の日だから」
本文中何度も繰り返されるスカーレットの口癖です。絶体絶命のピンチの時に唱える、おまじないのような言葉。鴻巣さんは口癖なので、普通の言葉で訳したそうです。
鴻巣さんはこの言葉を、以前高校生に翻訳の授業で訳してもらったそうです。その時の言葉が「とりあえず寝よう」だったそうです。
伊集院さんは「センスあるよ。」と言い、鴻巣さんは「名訳」とうなったそうです。
最後に
この物語を読んで、一番印象が変わったのは誰だったか?という質問に伊集院さんは「スカーレットとメラニー。スカーレットは型にはまらないという印象が、小説の方がすごくよく出てて、メラニーのことは恐れる。」と感想を言っていました。
この感想を聞いて鴻巣さんは「バトラーがメラニーの目を見た時にサッて表情が変わったというのは、彼女のポテンシャルというか、大きな宇宙を見たからだと思うんですよね。アシュリに対する無条件の愛とかね。そういう事も含むかもしれないし、とてもじゃないけど、自分には理解し切れないかもしれないという。」と推測していました。
最後の最後まで面白かったです。
結局、メラニーを理解しようとすることは出来ないっていうのが結論でしたね。
映画を観た時は、メラニーが亡くなってようやく目が覚めて、レット・バトラーに向かうスカーレットの勝手さに呆れたもんです。
アシュリを愛してなかったって気付くってどうなんですかね?負け惜しみのような気がしますけど。
愛していたのは愛していたと思いますよ。
バトラーに求婚されている時でさえ思い出したのはアシュリ。明らかに様子が変わったのをバトラーも気が付いたんですよね?
こんなにまで変えてくれる人を愛してなかったっていうのは、お得意の自分の都合のいいように解釈する癖だと思いました。
それでずっと愛してくれたバトラーをやっと思い出して、愛してくれるから愛す。っていう心境だったんでは?って私は思いますけどね。
アシュリから愛してくれたことなどなかったから、自分も愛してないって…ねえ?
どんないいわけ?
バトラーが去るのも当然の話です。
恋愛のことだけ外せば、メラニーと友情とか、事業を成功していく爽快さとか、窮地に追い込まれても立ち上がるたくましさとか、ワクワクする要素の詰まった面白い作品でした。
映画を観ただけでは分からなかった事が知れて、面白かったです。
特に今回、第4回のお話はのめり込んで観てしまいました。
以上、100分de名著「風と共に去りぬ」を観た感想でした。
この番組はテキストもあります。↓